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Saturday, May 04, 2013

映画『図書館戦争』

【5月4日特記】 映画『図書館戦争』を観てきた。

僕が有川浩という名前を知ったのはこの小説だったが、その設定の突飛さと言うか、奇想天外さと言うかに恐れをなして結局読まなかった。

僕と同じように原作を読まずに映画を観た人がいて、「非現実的な設定なのだけれど、もしそれにすんなり入って行ければ結構面白い。そこに違和感を覚えるとどうしようもない」と称していたのだが、僕にとっては全然そんな感じの映画ではなかった。

いや、あるいは僕はこの世界に完全に嵌ってしまったのだろうか? むしろ、「この映画に違和感を覚えるような観客がいるのか!」という気さえした。

今見るからそうなのかもしれないが、設定こそ架空の世界に仮象しているけれど、これはまさに言論の自由と表現の自由の危機に瀕しようとしている現在の日本の状況を映して、高らかに警鐘を鳴らし、強いメッセージを発している映画だと僕は思った。

場所は日本だが昭和天皇崩御の後、元号は「正化」に変わっている空想世界である。「メディア良化法」という表現の自由を侵す悪法によって、権力による一方的な書物の検閲や断罪、没収が日常的に行われている。

唯一表現の自由が守られているのは「図書館法」によって保護される図書館の中だけである。そして、当局の暴挙に対抗するために、図書館には火器を携帯した「図書隊」が配備されている。

笠原郁(榮倉奈々)は高校生の時、書店で特務機関の検閲に遭い、買おうとしていた小説を没収されそうになる。そこに颯爽と現れて彼女を守り、本を取り戻してくれたのが図書隊の隊員だった。

彼女はその隊員に憧れて、図書隊に志願し、隊員となった。そこには鬼教官の堂上篤(岡田准一)がいた。

実は堂上が笠原の長年の憧れの隊員であることは途中まで伏せられているが、よほど勘の悪い観客でなければすぐに想像はつく。そのことも含めて映画冒頭から数分間の時代背景や人物設定の説明が、とても手際が良い。

映画全体を通じて、フラッシュバックの使い方が極めて適切だと思った。だから、これほど凝った設定なのにすんなりとその世界に入って行ける。僕は設定の非現実さを全く感じることも、解りにくいと感じることもなかった。

そして、これは原作に負うところが大きいのだろうが、登場人物が上手に描き分けられている。

図書館のロケ/セットがとても良い。円形劇場のような構造。高さを充分に見せてくれるカメラ。明るい画も暗い画も、非常によく練られた構図だと思った。

そして、政治と理念、恋愛と友情、青春と挫折、銃撃戦と擬斗が入り乱れて出てくる、ドラマとしてのてんこ盛りの面白さがある。野木亜紀子というのはよく知らない脚本家なのだけれど、よく整理された見事な脚本だったと思う。

それから、堂上と武山(鈴木一真)の肉弾戦は、アクションを得意とする岡田のために急遽しつらえられたシーンで、ここも見せ場としてはすごい。台本よりもカット割りのほうが分厚かったとパンフにあった。

岡田准一と榮倉奈々は、実は僕はある時期までは完全に見くびっていたのだが、2人ともものすごく力量のある役者である。

今回岡田のほうは怖い顔をして睨んでいるシーンが多かったので、それほど真骨頂を披露する場がなかったが、榮倉の演技はいつも通り目を瞠るものがあった。

この子は本当に巧い! 「ありがとうございます」の「あ」だけ涙声になるといった細かい芸当のできる役者なのである。

田中圭、福士蒼汰、栗山千明、石坂浩二、橋本じゅん、嶋田久作ら、脇の役者たちもそれぞれが役の個性を見事に演じていたが、僕はこの映画はさながら榮倉奈々の独壇場だと思った。それくらい彼女の魅力が全開の作品だった。

そして、安易なタイアップに頼らず、しっかりと作りこんだ BGM が非常に印象的かつ効果的であったと思う。

ともかく、台詞のあちこちに表れているように、この映画は確固たるメッセージを内包する映画なのである。映画の中心部から強烈に射してくる光を感じる作品だった。

例えば全てが一段落した後、西田尚美扮する女性ジャーナリストが、「今はみんなが関心を持って騒いでいるけど、そのうちすぐに忘れてしまう。だから私たちは書き続けなければならない」と言う辺りは、まさに作家の宣言でもあろう。

非常に深い感銘を受けた。

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Comments

(自己レスです)

この記事に関して、僕の会社の OB で制作マンとしていろんな番組を作ってきた先輩からメールをもらいました。多分読者の皆さんにとっても興味深い話かと思いますので、長くなりますが、固有名詞など一部だけ省いてほぼ全文を以下に掲載します。

まずはもらったメール:

「台本より もカット割りのほうが分厚かったとパンフにあった」の件。
私の担当してきたドラマ、映画、アニメなど、その監督の書きこみよう、描きこみようにもよりますが、まず全部カット割りあるいは絵コンテのほうが量が多くなります。上記は、パンフレットに書き飛ばしたライターの責だと思います。当然のことですが、絵は文章よりも広いスペースが必要だからです。

僕の返信:

あ、やっぱりそうですか。何となく引っ掛かったんで「とパンフにあった」という表現を残したのです。
ただ、これはライターの地の文ではなくて、岡田准一と榮倉奈々の対談と岡田准一と佐藤監督の対談の中で、それぞれ1箇所ずつ、ともに岡田准一の発言として採録されているのです。
多分、この格闘シーンは当初の予定にはなくて、現場で急にやろうということになって画コンテを書いたとあるので、「この1シーンの画コンテが映画全体の台本より分厚かった」という意味かなあと思ったのですが、如何でしょう?
確信がなかったので言葉を補うことはしませんでした。
いずれにしてもご指摘ありがとうございました。

なお、本文中に僕は「カット割り」と書いたのですが、パンフを読み返すとこれは正確な引用になっていませんでした。岡田准一の発言は「絵コンテ」でした。

続いてこれに対する返信:

先日見たテレビで、映画の宣伝番組に出演していた岡田が同じ発言をしていました。その時は綿密な絵コンテを書いたもんだと感心しましたが、要するにどれぐらいの大きさで、どれぐらいの枚数に起こしたかでしょう。少なくとも綿密なコンテが必要なアニメで、30分番組の絵コンテを作るのには数日から1週間程度かかります。多くの場合、現場作業のためにコンテのコピーは片面で取られるということが多いので、分厚くはなるかな。テレビドラマでは、監督が自分の台本に書いたコンテを、撮影前にそのまま印刷屋に出してコピー製本しています。
昔は、助監督の重要な仕事として、監督の作った翌日分のカット割り(監督によっては絵コンテ)を借りて、主要なスタッフの台本に手で写しとることだったと聞きました。絵の下手なやつは助監督ができなかった。

Posted by: yama_eigh | Sunday, May 05, 2013 at 17:42

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