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Monday, May 13, 2013

買い物とお釣りの足し算引き算

【5月13日特記】 会社の帰りにちょっとした買い物をした。値段は525円だった。

財布に入っていたコインは100円玉が4枚、50円玉が2枚、10円玉が3枚だったので、それを全部出して530円にして払った。

店員は若い兄ちゃんだったが、何を思ったのか彼は、「630円お預かりします」と言った。「えっ?」と思ったが、僕が何かを言う前に、レジをチンと鳴らして、105円のお釣りをくれた。

まあ、100円ぐらい知らん顔してもらっておいても、と言われるかもしれないが、僕はあまりに驚いたのでそれはできなかった。

「いや、今払ったうちの2枚は50円玉だったでしょ?」

と僕が言うと、怪訝な顔をしてレジをチェックし、多分100円玉しか入っていてはいけない区切りの中に50円玉2枚を発見したのだろう。すみませんとも言わず、僕の掌から100円玉を抜き取り、レシートも発行し直さず、それで終わりだった。

ま、それは良いとして、僕が驚いたという話に戻ろう。

「630円お預かりします」と言われて何故驚いたかと言うと、このケースでは僕が630円を(あるいは100円玉を1枚多く)出す理由がどこにもないからである。

料金が625円で、お釣りを500円玉1枚と5円玉1枚でもらうために1130円出すというようなことなら話は別だ。

しかし、525円の代金に対して630円払うと、そのうち僕が払った100円玉1枚はそのまま僕のところに返ってくるしかないのである。それってナンセンスではないか?

630円あると思った段階で、本来店員は何かが間違っていると気づくべきなのである──店員が代金を言い間違えたのか、僕が代金を聞き間違えたのか、あるいはちゃんと聞こえたのだけれど何かを勘違いしたのか、それとも店員がコインを数え間違えたのか、のいずれかである。

通常であれば、ここは店員が「あ、お客さん、1枚多いですよ」と言うべきところである。
ところが彼はオールマイティの方法を採った。

即ち、金額に関係なく客の差し出した料金を単純にレジ機に打ち込み(実際には今回は店員が額を打ち間違えていたことになるが)、表示されたお釣りの金額をレジ機から取って、客に返したのである。何も考えていない。

最近の若い人はこのように「如何なる場合にも通用する唯一の方法」を探す傾向が強いと僕は思っている。

確か内田樹氏が著書(『呪いの時代』だったか?)の中で、最近の学生は一番努力せずにやるにはどうすれば良いかを必死になって考える、みたいなことを書いていたが、これは「如何なる場合にも通用する唯一の方法」を探すのと同じことである。

彼らの基準では、普段からいろいろ考えている奴よりも、考えずに済んでいる奴のほうが偉いのである!

これで日本の未来は大丈夫なのだろうか?

全てを機械化・自動化せずに生身の店員を雇っているのは、何もそのほうがコストが安いからだけではない。

「あ、この人は500円玉でお釣りがほしいのか」「この人は財布の中の10円玉の数を減らしたいのか」とその都度いろんな判断をして、それに対応させるために人を雇っているのである。

625円の代金に対して1130円を払った客に100円玉5枚を含むお釣りを出して気分を損ねたりしないように、ケースバイケースで考えるのが君の仕事なのだよ。

引き算は確かにレジ機がやってくれる。しかし、客に対する対応を足し算に変えるために、君はレジを打っているのである。

──それは「考える」ということである。何も考えずに自動に任せるという方法を棄てることなのである。

(ここまで書いて思い出したが、お釣りに関しては過去こんな記事も書いていた。趣旨としては今日書いたことと近いものがある)

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