『双頭の船』池澤夏樹(書評)
【5月29日特記】 僕が初めて池澤夏樹を読んだのは1993年の『マシアス・ギリの失脚』だった。普段は人に勧められるとまず読む気にならないのに、どういう訳か知人に勧められるままに買って読んで、しかも面白かった。
で、例によって本の具体的な中身についてはほとんど完全に忘れてしまっているのだが、この『双頭の船』を読んで、なんだか『マシアス・ギリ』の時の池澤夏樹が帰ってきたような気がした。あの本にも確かこんな民話的な響きがあったように思う。
わざと描写を薄めにして、少しマンガ的な運びにしているのも同じではないかな? この一見すると小説初心者みたいな書き方が、やや空想的でありながらたっぷり希望を含んだ独特のリズムを生み出していると思う。
このストーリーは地震や原発事故を背景にしているが、僕はこの本を地震や原発事故に対する鎮魂歌みたいな捉え方はしたくない。
実際に大きな地震があり、大きな事故があり、大きな悲しみを背負った人たちが多数出てくれば、人はそれに対して何かを思うのは当然であり、それが作家であればその思いを何らかの形で文章にしようと思うのも当然である。
ある作家の場合はそれが地震や原発を扱ったリアルな小説の形を採り、ある作家の場合は見た目には地震や原発をそんなにはっきりとは思い出させない文章になる──ただそれだけのことであって、もちろん一部の作家は自分の文章力によって何らかの救済を目論むのかもしれないが、池澤夏樹にはそれほどの「気負い」を僕は感じないのである。
むしろ、そんな気負いがあればあるほど、この小説は空々しく寒々しいものになったのではないだろうか。
まるで、こどもの空想から生まれたような、ちょっと現実離れした設定である。例えば実際に船舶や農業や国際法の専門家に検証してもらったら、この話のここがおかしい、あの設定がいい加減だという粗がいっぱい出てくるかもしれない。しかし、それで良いのである。
双頭の形をした大型船に、被災者とボランティアが乗り込み、船上に町を作る話である。しかも、メインの登場人物ひとりひとりがとても奇妙な特技を持っている。例えば野生動物を手なづけてしまう人物や、死んだ者たちを供養することができる人物である。
だから、この船には被災して死んだ者たちや動物たちも「乗り込んで」くる。
主人公の青年にはそんな超能力的なものは備わっていない。彼の特技はただ壊れた自転車を修理することだけで、他に秀でたものは何も持ち合わせていない。そして、何ごとかを決めなければならない場面で自分で決断できた試しがない。
その彼と、彼を取り巻く何人かの不思議なキャラクターが織りなす不思議なストーリーである。作家は細かいところまで整合性をはかって、全ての穴を埋めて語りつくしたりしてはいない。
だからこそ、不思議に読んでいて落ち着くのである。そう、僕は「癒し」という言葉も安易に使いたくない。この話を読めば「落ち着く」のである。それで良いではないか。
そんな風なことをおおらかに考えさせてくれる、おおらかな小説であった。
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