『虫樹音楽集』奥泉光(書評)
【5月16日特記】 新聞に載っていた書評を読んで興味を惹かれ、初めて読んでみた作家である。で、とても面白かった。
なにしろジャズと虫である。いや、虫と言うよリ、変身である。そう、グレゴール・ザムザがある朝起きたら自分が巨大な毒虫になっていることに気づいたという、あのカフカの『変身』である。と言われても、そんなものとジャズとがどう結びつくのか想像もつかないだろう。その想像もつかないものを組み合わせたところが、この小説の最大の妙である。
小説の語り手はひとりではない。それどころか、各章の構成がバラバラであり、人物評伝めいたものから幻想的な作中小説的なもの、果てはジャズ雑誌の記事であったりもする。
ただ、そのバラバラの内容が主に取り扱っているのはイモナベこと渡辺柾一というジャズのテナー・サックス(及びバス・クラリネット)奏者であり、その多くを語っているのはかつてのジャズ少年であり、一度だけライブ演奏を聞いたことのある渡辺柾一をモデルにした『川辺のザムザ』という作品を書いた小説家である。
渡辺柾一が何故イモナベと呼ばれるようになったのかは、最初は謎のまま走るのであるが、小説の中盤であっさり明かされる。ただ、それとは全く無関係なのだが、イモナベという名前に芋虫を連想してしまう読者は僕だけではないだろう。この辺は明らかに作者が狙ってつけた名前だと思う。
そして、そこからも想像がつくように、虫に変身してしまうのは、あるいは虫への変態を遂げようとしていたのがこのイモナベなのである。
人間が虫になるわけはない。だから、そんなことを考えるイモナベは狂気の中にあったのだ──と、そう言ってしまえばある意味それで終わりである。ところが、そんな風に簡単に片付けさせないところがこの小説の魅力なのであり、奥泉光という作家の力量なのだと思う。
全然繋がらないいくつかの文章を並べる構成を採りながら、その全体を通じて「孵化→幼虫→変態」という不気味なイメージが1本真っすぐに通っている。それはある章ではテーマであり、ある章では比喩であり、ある章では、と言うよりある章全体がそれこそ幻想であったりもする。ともかく不気味な「音楽集」なのである。
そして、大きな謎を手つかずで残したまま、バサッと大鉈でぶった切ったような、余韻というにはあまりに重苦しい後味を残した終わり方は、これは却々勇気のいる終わり方である。
果たしてイモナベは虫への変態を無事に完了できたのだろうか?
同じ作家の他の作品も読んでみたくなった。
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