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Sunday, March 24, 2013

映画『千年の愉楽』

【3月24日特記】 映画『千年の愉楽』を観てきた。

中上健次も若松孝二も、もちろん名前は知っている。しかし、僕らより上の世代の人たち、と言うか、僕らより上の世代に向けた表現者たち、という気がして、今まで読もうと思ったことも観ようと思ったこともなかった。

今回観たのは3人の男優たち、高良健吾、高岡蒼佑、染谷将太に惹かれてのことだった。いずれも好きな役者である。ちなみに映画館で見るのは高良健吾が16本目、高岡蒼佑と染谷将太はともに13本目である。

主人公はこの3人ではない。“路地”に暮らす助産師・オリュウ(寺島しのぶ)である。“路地”というのは中上文学のキーワードらしく、中上が出身であるとする被差別部落そのものではなく、それを何かのメタファーにしたものだと言う。

そして、物語に順番に出てくる3人の色男、半蔵(高良健吾)、三好(高岡蒼佑)、達雄(染谷将太)を取り上げたのはいずれもオリュウだった。また、この男たちはいずれも「中本の高貴で穢れた血」を引いている。

この形容矛盾表現は、ひとつには差別の問題を内包しているのだが、一方でもっと広く、極めて日本人的な、地縁と血縁の呪縛を表しているようにも思える。

3人とも中本姓かあるいはその親戚であり、「女が放っておかない」という表現をしているが、裏返せば女にだらしがない。そして、中本の男たちは皆自分の血を呪い、いずれも若いうちに非業の死を遂げる。

もう、とことんやりきれない映画なのである。普段から地縁一般・血縁一般を潔しとしない僕からすると、「中本の血」などというのは本人たちの自縄自縛でしかなく、都合の良い言い訳でしかないように思える。

日本人の皆さん、もうそろそろそういうところからは脱却しませんか?と言いたくなる。

そこに差別の問題が絡ませてあるから余計難しくなる。完成台本を完全掲載してあるとはいえ、このパンフレットの分厚さと小難しさは何だろう?

これを観て何か言ってみろと言われると、途端に僕は口が開けなくなる。

良い映画か悪い映画かと言えば、もちろん綿密に組み立てられて演出され、役者たちによって見事に演じられた映像芸術であることは認めざるを得ない。ただ、僕はこのフィルムの色調から、バックで流れる辛気臭い音楽、映し出される日本のどこかの田舎の風景、そしてストーリーまで全てに馴染めない。

そういう観客の拒否感は、あるいはある程度意図したとおりに惹起されているのかもしれない。そこまで考えると僕は作家たちの思う壺である。

しかし、これは僕が観たい映画ではなかった。

買ったパンフレットは何故だか何人かの直筆サイン入りだったが棄てることにする。

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