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Sunday, February 10, 2013

映画『脳男』

【2月10日特記】 映画『脳男』を観てきた。瀧本智行監督。

“脳男”(生田斗真)は生まれつき感情がない。痛みも一切感じない。その代わり超人的な記憶力と身体能力がある。如何なる外界刺激に対しても無表情で反応がなく、しかし、素速く鋭い動きで人を文字通り秒殺する。

一方で、緑川紀子という爆弾テロリスト(二階堂ふみ)が登場する。こちらも脳男に匹敵する異常なキャラクターである。レスビアンの関係にある相棒のゆりあ(太田莉菜)も一緒にいる。

茶屋(江口洋介)と広野(大和田健介)という2人の刑事が潜伏現場と思しき工場跡を突き止め、中に入ろうとした時に爆発が起こる。踏み込んでみると犯人はおらず、脳男がひとり立っていた。

茶屋はとりあえずその脳男を連行する。精神科医の鷲谷(松雪泰子)と空身(甲本雅裕)が彼の鑑定を引き受けることになり、調べて行くうちに恐るべき事実が明らかになる──荒っぽく言うと前半は大体こんな感じのストーリーなのだが、ひと言でまとめてしまうと、これは荒唐無稽の部類である。

面白くないかと言われれば確かにある意味面白い。が、心底楽しむことができない。

まずこの映画は、緑川紀子が誘拐してきた占い師の顔を万力で固定して、鋏で舌をちょん切るシーンから始まる。こういうのが苦手な人は絶対見てはいけない。まず、この残忍さがために、僕は素直に楽しめない部分が残る。

そして、ストーリーの穴やほつれが多すぎる。

実弟を殺された精神科医本人がその殺人犯のセラピーを担当していたり、銃を奪われてその銃で人が殺されたというのに、奪われた当の刑事はその日そのまま自分の捜査活動を続けていたり、何箇所も連続的に爆発が起こっている最中のビルに大勢の警察官が突入して行ったり、素人が考えても「いくらなんでも」と思う設定や進行が多すぎる。だから心底楽しめない。

そして、この映画が問うのは「何故殺すんだろう?」ということだけで、「誰が犯人なんだろう?」「どういうトリックを使ったのだろう?」というような知的好奇心に訴える部分がない。

こういうサイコものはどうしてもそういうトーンになりがちなのだが、「異常者の、理解できない、常軌を逸した行動」という方向に収束してしまい、あまりに陰惨で救いがなさすぎる。悪意が前面に滲み出しすぎている。

終盤で一旦は誰もが考えるハッピーエンド風な展開に持ち込みながら、その後もう一度(一度ではなく二度と感じる観客もいるだろう)予想を裏切る展開をしてみせるのだが、その辺りに「どうだ、俺はお前らよりもっと人間の暗部というものを知っているぞ」としたり顔で語る、作者の嫌らしい表情が透けて見えるのである。

僕はこういう映画を作る精神を良いものとは思わない。

エンディングにキング・クリムゾンの 21st Century Schizoid Man が流れてくるのだが、この曲が流行った1960年代末期には、21世紀はまだ来るのかどうかさえ定かではない、イメージさえ持ち得ない未来の話だった。そして、精神疾患は今のように社会的なコンテクストで捉えられていなかった。

だからこそ、あの時代には、この曲のタイトルは空想の広がる余地が大きかったのである。現実に21世紀に突入した今この曲を使うのは、あまりにそのまんますぎて単なる悪趣味でしかない。

いや、そのまんまではない。何故なら脳男は多分 schizoid ではないからである。その辺がなし崩し的に同化されてしまって、このエンディング・テーマを選択したことはなおさら悪趣味になる。

映画が終わった時、僕の隣の若い女性2人は、「ああ、疲れた」「途中で吐きそうになった」などと言っていた。ああ、やっぱりそうなのか、と僕は少し安堵した。

一方、僕の斜め後ろに座っていたこれまた若い女性2人は、「生田斗真、めっちゃカッコ良かったね」「うんうん、カッコ良かった!」と2人してはしゃいでいた。

21st Century Schizoid People Everywhere ではないか。いや、ごめん、彼らも決して schizoid ではないのだろう。しかし、この映画自体が、そしてこの映画を成立させるマーケット自体が、そのテーマの統合を失調しているのではないか?

表現の自由というものがあるから、こんな映画を撮ることを許していけないとまでは言わない。そして、人の感じ方も多様であるから、一概に害悪のある映画だとも断定はしない。

真辺克彦と成島出という2人の優秀な脚本家が何年もかかって練り上げた台本だけに、よくできていると言えばできている。全体にロー・キーを基調とした映像も美しい。アクションも特撮も大変迫力がある。

でも、僕はこんな映画観なければ良かったと思った。言論の自由というものがあるから、せめてこのくらいのことを書くのは許してもらえるだろう。

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