映画『きいろいゾウ』
【2月11日特記】 映画『きいろいゾウ』を観てきた。廣木隆一監督──僕は勝手に「引き画の廣木」と呼んでいる。
ともかく印象に残るロングの画を撮る人である。この映画だからカメラを引いて田園風景を映し込んでいるのではない。背景が美しい大自然であっても薄汚れた廃墟であっても、どんな映画でもこれをやるのである。
冒頭引いた画から入って徐々に人物に寄って行くような画ではない。おいおい、そこは役者の表情見えなくていいの?とこっちが心配になるようなシーンでカメラは引いたまま寄らず、深い大きな構図を見せるのである。
そして、特筆すべきはその引いた画が力強いこと。ロングにすることによって、我々は端的に人間という存在の小ささを感じることになる。ただ、そこにあるのは孤独感とか寂寞感とかいうものではない。
人間の小ささよりも、むしろ自然や社会の大きさを感じてしまう──そんなポジティブなロングの画作りをするのが廣木隆一監督なのである。
この映画でも冒頭のツマ(宮﨑あおい)が庭に散水しているシーンが俯瞰の引き画である。海辺にパラソル立ててツマとムコ(向井理)が寝転ぶシーンもロングである。2人が川を挟んで大地(濱田龍臣)と最初に喋るシーンもそうだ。
他にも山ほどあった。夕暮れの武辜家を捉えた圧倒的なロングがあった。クレーンでゆっくり回ってきた。ほとんどは台詞のあるシーンだ。役者の口許も目許も見えない。でも、人物の感情はちゃんと伝わってくるのである。
それから、長回しもやる。
軽トラックの中でツマとムコが言い争いになるシーン。走る車を外側から撮影している。最初のムコがたくさん喋るところは運転席側の窓の外からの長回し。ツマがむくれて、苛立って、泣いて、少しだけ落ち着いてくるのを今度は助手席側の外から、途切れることなく一気に見せてくれる。
そして、この映画で一番凄いシーン。そう台所の流しでツマがムコの手を打つシーン。最初は手許を映しているがその後はそれぞれの顔をアップで撮った長い長いシークエンス。表情と音だけで全てを伝えてくる。そういう行動でしか、自分のモヤモヤした感じを表現するしかなかったツマの胸中を、ムコの想いを伝えてくる。
この映画は西加奈子の初期の代表作の映画化である。僕は作家の名前は知っていたが読んだことはない。しかし、監督も主演の2人も読んでいて、自分が演じたいと言ったり、雑誌に紹介したりしていて、かなりの思い入れがあったようだ。
お互いをムコとツマと呼び合っているなんてどこのバカップルかと思われるかもしれないが、夫の苗字が武辜(ムコ)で妻の旧姓が妻利(ツマリ)なのだから仕方がない。恐らく結婚前からそう呼び合っていた2人なのだ。
しかし、彼らの「結婚前」の期間は非常に短かった。満月の夜にムコがプロポーズして、ツマの父親の反対を押し切って2人は結婚し、今は大きな田舎家に住んでいる。ここがどこかは明示されないのだが、車が三重ナンバーなので、その辺りなのだろうと推測がつく。
ツマは満月とともに必ず生理が来る。そして、獣や虫や木が語りかけてくる声が聞こえる(これらの声を結構有名な男優女優が務めているのだが、ソテツの大杉漣だけはすぐにそうだと判った)。
ムコは老人ホームで働きながら、あまり売れない小説を書いている(作品はちゃんと出版されている)。そして何故だか背中に大きな鳥の刺青がある。
2人はお互いに、どうして動植物の声が聞こえるようになったのかとか、どうして刺青を入れたのかというようなことを知らないまま結婚した。そんなことは知らなくても幸せに暮らしていた。庭の畑で収穫し、食事を作って食べ、セックスをした。でも、知らない部分から少しずつ綻びが見えてくる。
そこに近所に住む不登校の小学生・大地や、妻が少し呆け始めた老夫婦(柄本明、松原智恵子)、そして東京に住むもう一組の夫婦(リリー・フランキー、緒川たまき)らが絡んで物語はゆっくり進んで行く。他人と暮らすってどういうことなんだろう? 他人を愛するってどういうことなんだろう?
ものすごく良い映画だった。普段使っている大脳の箇所を、まるでショートカットしたみたいに直接情動に働きかけてくる感じがある。言葉にできないものを映像で表すという、まさに映画ならではの作品になっている。
宮﨑あおいと向井理となると客が入るのも道理で、僕が観た回は1席も残らない完売だったが、この2人がまた最高の演技をしている。僕のような宮﨑あおいファンにはたまらない作品であったが、恐らく向井理ファンにとってもたまらない体験ではなかったかと思う。(宮崎あおい)
僕は廣木監督の割合新しいファンで、最初に見たのは『やわらかい生活』だったのだが、それ以降僕が見た7本の中では最高傑作と言って良いと思う。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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