Kindle Fire HD 使用実感 その2
【2月2日特記】 Kindle Fire HD が手許に届いてから3週間の頃に使用感についての記事を書いたが、それからさらに3週間が過ぎたので、第2弾を書いてみる。その後気がついたことだけではなくて、単に前に書き漏らしたことも少なくないのだが…。
まず、これはもう商品が届いて手に取った瞬間に思ったことなのだが、タッチパネルの感度はあまり良くない。時々タップやスワイプに反応しないのである。
iPhone や iPad とは比べ物にならない。ああ、やっぱり、あれが世界最高なのか、と逆に実感した。喩えは悪いかもしれないが、若い女性と中年のおっさんほど肌触りが違う。まあ仕方がないか。
それから、電子本に関して言うと、前の記事では「まだ多いとは言えないが、そのうちどんどん増えてくるだろう」と書いたけれど、やっぱり本を買おうとするたびに規格の乱立を実感する。
Kindle で読めるバージョンが多いか少ないかといった小さな問題ではなく、「あれなら読めるけど、これなら読めない」という例が多すぎるのである。つまり、まだこの世界はハードの時代なのである。
ビデオにしても DVD にしても、規格争いに決着がつかないとソフトの時代は来なかったのである。ソフトの時代とは、つまり、自動車がどういう仕組なのか全く分からなくても平気で運転する人が出てくるような時代である。
自分で整備もできないドライバーというのはある意味困った存在であるが、そういう人が増えた時に初めてコンテンツや利便性は飛躍するのである。
それを考えると、ま、スマートフォンやタブレット自体が、画面の縦横比をはじめとして不統一なハードの時代のまっただ中にいるわけで、Kindle のことだけを言っても仕方がないのかもしれない。
ただ、前回も書いたように、僕はこの機械をもっぱら電子書籍リーダーとして買った。そして、とりわけ新聞を読むデバイスとして使っている。これは便利である。
僕は朝日と日経を Kindle 用のアプリで読んでいるのだが、非常に手軽でスムーズで、時間も省けてくる(ただし、朝日のアプリはよく落ちるけどね)。
ただ、読み方が少し変わってくるという側面もある。新聞社やメニューによっても違うが、最初の画面には項目一覧(各項目1行)か、あるいは記事の一部(大きさは6パタンくらい)が載っているだけなので、それだけでは記事の長さが分からないのである。
だから、読み始めていくらスワイプしても下から次々と字が現れると嫌になってやめてしまったり、早スワイプしてしまうこともある。こうなってみて初めて、新聞というものは最初に記事の分量を把握してから読み始めるものだったのだということに気づいた。
まあ、多分新しいデバイスが読み方をすっかり変えてしまうなんて事態も出てくるだろう。
本は今、津田大介氏の『ウェブで政治を動かす!』を読んでいる。読みたいけど、読んだあと手許に置いておく必要はない(多分)という本は今後も Kindle バージョンを買おうと思う。本棚に優しい本(笑)である。
あとは『日経パソコン』がこれで読める日が早くこないかな、と思っているのだが、定かではない。
で、言うまでもないことだが、これを買ってしまった以上は、規格争いで Kindle が全面勝利することを祈っている。過去 VHS vs ベータでも Blu-ray vs HD DVD でも僕は勝者側にいたから今度も──というのはあまりにも虫が良すぎるかもしれないが(笑)。
ただ、やっぱりどこかがまず勝たないと、次のステージには進めないのである。世界はまだ始まったばかりである。
« 無題 | Main | 映画『つやのよる』 »
Comments