『間抜けの構造』ビートたけし(書評)
【1月27日特記】 もう少し系統建てて体系的にまとめられた本ではないかと勝手に思っていたのだが、読み口ととしてはどちらかと言うとビートたけしの雑談を聞いているのに近い。ただ、てんでばらばらかと言うとそうではなく、ビートたけしの人生哲学が、いや、むしろ個人の人生観を超えたレベルでの非常に奥深いものが語られている感じがある。本としてのまとまりには少し欠けている気もするが、言わんとしていることは不思議にまとまって伝わってくる。
さて、書き起こしはたけし自らの体験ではなく、政治家の話である。そこでバカと間抜けの差に軽く触れておいて、第2章で漸く本業である漫才の“間”を語りだす。ここら辺りがまず最初に興味を引くところである。
で、このパートだけでなく、この本のあちこちに相方であるビートきよしの話が出てくるのだが、きよしのことは一見バカにしたような書きっぷりではあるが、その実、最初はきよしに漫才の基本を教わった(んだから笑っちゃう)とか、きよしとでなければああいう漫才はできなかったとか、彼に対する親しみと思いやりがチラチラ見えるのである。ああ、まさにこの感じが、たけしのきよしに対する“間”の取り方なのだなあ、と感心してしまう。
そこから第3章は落語の“間”、第4章はテレビの司会者の“間”、第5章はスポーツの“間”と続き、第6章になってもうひとつの本職である映画の話が出てくる。
そして、そうこうするうちに、語られている“間”はいつの間にやら時間的な区切り、タイミングの意味から距離的な“間”、精神的な“間”、環境的な“間”にまで広げられており、最後の第8章では「我々の人生というのは、生きて死ぬまでの“間”でしかない」(186ページ)と締めくくっている。
まるで人生をうっちゃったような表現でありながら、逆に彼がその“間”を如何に大切にしているかがよく解る。
軽い本だが、ビートたけしの表現者としての凄さを十二分に感じさせてくれる。決して間抜けな本ではない。
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