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Thursday, January 31, 2013

無題

【1月31日特記】 例の事件以来、体罰についてのいろんな言説を読む。それぞれに怒りに溢れたもの、切実さに満ちたもの、冷静な説得力が感じられるもの、多様であって、しかしどれも否定すべきものではない。

それらとあまり重複しないところで、感じたことを少しだけ書いてみる。

いろんな言説を読んでいると、数は多くないが、控えめに体罰に賛成している人がやはりいるのに驚く。中には自らの信ずるところに従って、強い意志と信念を持って生徒に体罰を行なってきた教師もいるのだろう。

しかし、あなたの信ずるところ、私の信ずるところは、往々にして間違っているのだ。それは人間が社会生活を送って行く上で必要な基本的な認識である。

私はそう思うのだが、しかし、間違っているかもしれない──少なくともそういう認識を持った人に、僕はいろんなことを教わりたいなあと思うのである。

生徒への体罰は法律で禁止されている。それはいい加減に思いつきで禁じられたのではない。そこにはさまざまな事件や議論や検証があって、その結果として法律が定められたのである。そのことに思いを馳せてほしい。

もちろん、僕が今書いているこの意見も間違っているのかもしれないけれど…。

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Comments

おはようございます。
私もこれについては思うところがいろいろあります。

まず「体罰はアリかナシか」そこを確認しないと議論が始まらない、といった“定型”には疑問を感じています。

その二元論では、ニュートラルな視点で「実際、何が起きているのか」ということをとらえることが難しいからです。

事件の全容を知り、判断するには
「アリかナシか」はいったん脇に置いて考える必要があると私は感じています。
話し合う時にも「あなたはアリだと思う?それともナシ派?」という風に確認してから始めると、それは必ず個人の視点に影響を与え、事実を曇らせます。

二元論にはyamaさんが書いておられるような
「間違っているかもしれないけど」の入る余地がないんですよね。
でも、アリ派かナシ派か、まず聞かれると
その余地は限りなく0(ゼロ)に近くなってしまう。
そんな気がします。

体罰容認発言をする人の中には、「自分は部活の時に叩かれたりしたけど、先生との関係においてはアリだと感じていた」という人がいるのかな、と思います。
「だから自分もする」というのと同じ意味ではないような気がしています。
そこをイコールのように取られると、これまたいろいろな発言が窮屈になってしまうのかなぁと。

この記事を読ませていただいて、もやもやしていた正体が少し分かった気がします。

yamaさんに異論があるとか、そういうのではないんですよ。
むしろ、この記事を読んで「ああ、私はこう感じてたんだぁ」と少しすっきりした気持ちなのです。

ありがとうございます。

Posted by: リリカ | Friday, February 01, 2013 06:54

> リリカさん

僕の書き足りなかったところを書いていただいたような気がします。ありがとうございました。

ちなみに僕の名前は yama_eigh または yama-a と書いて「やまえー」と読ませています。よろしくw

Posted by: yama_eigh | Friday, February 01, 2013 09:23

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