『語感トレーニング』中村明(書評)
【11月21日特記】 僕はこの人が編んだ『日本語 語感の辞典』を持っている。発売してすぐに買った。まさに待ち望んでいたような辞書だった。
しかし、この本は、辞書であると言いながら、収録されている語数も多くなく、そういう意味でやや実用性に欠けるところがある。パラパラとページをめくって、読み物として読めば非常に面白いのだが、かと言って、読み物の体裁を取っているのではなく、形式はあくまで辞書であり、読み物のように体系立てて読者に語りかけてはくれないのである。
──そういう読者のジレンマを解消してくれたのが、今回のこの新書ではないかと思う。
ここでは「語感」というものを、1)表現する《人》に関するもの、2)表現される《もの・こと》にかかわるもの、3)表現に用いる《ことば》にまつわるものの3つに分類し、それに沿った章立てになっている。
例を挙げれば、1)は男言葉と女言葉の違いである。2)は男を形容する言葉と女を形容する言葉の別である。そして3)はどれだけくだけた言葉か、といったようなことである。
なんとも解りやすい整理の仕方ではないか。そして面白い。
ただ、僕としてはひとつだけ困ったこと、と言うか、少し居心地が悪いところがある。
僕は自分のホームページに「ことばのギア、発想のシフト」というタイトルで、ことばに関するエッセイを書いている。もう10年以上、毎月最低2編のペースで書き続けているのだが、そこに書いているエッセイと本書がテーマ的にあまりにかぶりすぎているのである。
知らない人が見たら、この本が僕のエッセイのネタ本だと思うかもしれない(念のために書いておくと、僕は2001年からこのシリーズ・エッセイを書いているのに対して、本書が出版されたのは昨年であるw)。それくらい同じ例、同じテーマ、同じ着眼点で書いているのである。
だから、逆に言うと、読んでいてほとんどが「フムフム」という感じ。中に、「言われてみれば確かにそうだ!」というのがあり、ごく僅かながら「それは違うんじゃないかな」というのがある。そんなことを思いながら読み進んで行ったら、なんと著者の中村自身が「結び」で同じことを取り上げている。これまたびっくりである。曰く、
この語感解説を読んで、ある部分はまさにそのとおりだと思う。ある部分は、「言われてみればそうかもしれないと思う。また、ある部分は、いや、自分は違うと思うだろう。第一の場合は、自分だけの勝手な思い込みでなく世間に通用することが確認できる。第二の場合は、そういう発見の累積で自分の語感を豊かに育てることにつながる。
そして、第三の場合、すなわち、説明に感覚的に納得できないとき、自分とどこがどう違うのかを鮮明にし、この本の記述を刺激にしてあれこれと思いをめぐらす。それこそが何よりの“語感トレーニング”としての独自の言語感覚を研ぎ澄ます着実な一歩一歩となるだろう。
なるほど。恐れ入りましたw
ただし、重ねて書くが、僕の場合はほとんどが「第一の場合」であった。そして、著者が言うように、学者でも専門家でもない自分が勝手に考えてコツコツと書いてきたことが、こういう大家の著によって裏打ちされたんだということにはたと気づいて、「世界に通用する」と言うよりも、「自分も却々捨てたものではない」などと妙なことを考えてしまった。
そういう方はあんまりおられないだろうけれど、僕のエッセイを読んでくださっている方には文句なしにお薦めできる本である。
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