『ねじまき少女』パオロ・バチガルピ(書評)
【11月7日特記】 読み終えるまでに随分時間がかかってしまったが、決して面白くなくて読みあぐねていたわけではない。SF慣れしていない僕が全体像を掴むのに時間がかかったということである。
ともかく入り組んだ話である。まず場所はタイの首都バンコクである。時代は近未来。多分地球温暖化の影響で、世界中の海面が上昇し、ほとんどの沿岸都市は水没してしまっている。タイは防潮堤を巡らせてそれを逃れたのである。
加えて遺伝子操作の弊害で複数の疫病が農作物と人間を冒している。そのため病気に耐性のある作物を栽培できる何社かの「カロリー企業」が世界の産業と経済を支配している。
石油資源は枯渇しており、機械や設備は「手回し」や「ゼンマイ」で動いている。ゼンマイと言っても、人間の手で巻くのではなく、これまたメゴドントという遺伝子操作された強靭な象を鞭打って巻かせているのである。
国は「子供女王陛下」とその摂政たるチャオプラヤによって治められているが、実質上治安を掌握しているのは環境省の検疫取締部隊である「白シャツ隊」であり、環境省と通産省の間には激しい権力争いがある。
そして、そこに住むのはタイの民族だけではなく、主にカロリー企業の社員であるファラン(西洋人)と、「イエローカード」と呼ばれる中国系難民がおり、さらにその他に、遺伝子操作で作られた新人類である「ねじまき」がいる。ねじまきは全て日本製で、タイにおいては違法な存在である。主人に従うようにプログラムされ、肌理が細かくなるように毛穴を少なくしているので、タイのような暑い国ではすぐにオーバーヒートしてしまう。
──僕は普段は書評を書く時にはこんなに詳しく設定やストーリーについては触れないのだが、今回はこういうことを説明することが、この本の面白さを説明する一番の方法だと感じるので、こういう書き方をしてみた。
本当に、よくもまあこんな複雑な設定を考えついたものだと感心するのだが、この著者の過去の作品名を見ると、『カロリーマン』や『イエローカードマン』などというのがあり、今回の複雑な設定は決して一朝一夕に作られたものではなく、作者の頭の中で長い時間をかけて醸成されてきたものであることが分かる。
ストーリーの上で主要な人物は5人いる。
まずは、カロリー企業の工場のオーナーであるアンダースン・レイク。所謂ファランである。次に、その工場で働くイエローカードのホク・セン。マレーシアでの中国人大虐殺の難を逃れてここにいる。そして、市民から「バンコクの虎」と慕われている白シャツ隊の隊長ジェイディー・ロジャナスクチャイと、その副官である無表情な女性カニヤ。最後にねじまきの美少女エミコである。
僕はこの「ねじまき少女」(原文では the windup girl)の描写は、例えば30年前であったらあまり想像できなかったのではないかと思う。それは現代の、かなり出来の良い3Dアニメーションを連想させる。人間にそっくりなのだが、やはりどことなく動きにぎこちないところが残るのである。
windup という表現は、この小説世界の中の主たる動力であるゼンマイを「巻く」という行為とは関係なく、その動きのぎこちなさを形容したものなのである。
ねじまきたちは「ヒーチーキーチー」とも呼ばれているのだが、これは米俗語の hoochie coochie (精力絶倫の意)を連想させる。つまり、性的な対象と捉えられていることを示唆しているのである。
柔らかく肌理の細かい肌。そして主人に対して従順な態度。卵巣がなく妊娠しない。──その辺りのことを考えると、男にとってはある意味理想的な遊びの対象である。しかし、そんな彼女たちの隠れた身体能力が、最後にこの物語をドライブして行くことになる。
おっと、語りすぎてはいけない。ともかく全体像が掴めてくるとめちゃくちゃに面白い。下巻に入ってから、僕も読むスピードが倍加した。
これは映画にしたい話である。脳裏に映像が浮かんでくる話である。ひょっとするともうどこかで映画化の話が進んでいるのかもしれないなどと想像する。いや、それは単なる僕の想像で、映画化は実現しそうなのかしないのかは知らないが、しかし、世界中にこれを映画化したいと思う人間は山ほどいるのではないだろうか。
それほどにイメージを掻き立ててくれる、極めてエキサイティングなSF小説であった。
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