僕と貴志祐介と大島優子
【11月21日特記】 AKB48 の大島優子さんが映画『悪の教典』を観て、「私この映画嫌い」と言って途中で飛び出してきたという話がネット上を賑わしている。
彼女はその後の記者会見でこう語ったそうだ:
命が簡単に奪われていく光景に涙が止まりませんでした。映画なんだからという人もいるかもしれませんが、私はダメでした…ごめんなさい。
映画は見ていないが、解るような気がする。貴志祐介の原作だから。いや、僕はこの原作小説を読んだというのでもない。僕が読んだ貴志祐介は彼の名前を一躍有名にした『黒い家』だけである。
それはある意味、めちゃくちゃ面白い小説だった。読み始めたら途中でやめることを許さないという意味での面白さだ。
しかし、これほど残忍で、救いがなく、後味の悪い小説を書く奴を、僕は許せないと思った。それで、読み終えた途端に「ええい、くそっ、忌々しい!」という言葉が自然と口をつき、誇張でも比喩でもなく、僕はその本をゴミ箱に、文字通り投げつけて棄てたのだった。
以来彼の本は本屋で手に取ったこともない。
その『黒い家』が1999年に映画化された。監督は僕が敬愛してやまない森田芳光だった。主演は、僕が日本で5本の指に入ると評価する名女優・大竹しのぶであった。
僕は迷った。とても迷った。正直見てみたかった。でも、見なかった。最終的には見ちゃダメだという判断をした。
しかし、実は後に WOWOW で放送したときに結局録画をした。が、一度は録画をしたものの、やっぱり見ずに消去した。見ちゃいけないという判断をした。耐えたのである。
たかがホラー小説に何を大げさな、と言われるかもしれない。大島優子さんも「たかが映画に…」と言われたらしい。
しかし、許せるか許せないかということを含めて、言葉でうまく説明できない肌触りの可否が、作家との相性というものである。それを、「もっといろいろなジャンルの映画を観て勉強すべきである」などと言われるのは、如何にも大島さんが気の毒に思える(念のために書いておくと、僕は別に大島優子さんのファンではない。AKB48のファンでさえない)。
『悪の教典』は予告編を見る限り惹かれる部分はある。だから、確かに僕も、一旦は見ようかなという気になった。三池崇史が好きな監督のひとりであるということもあるし。
でも、結局見ないような気がする。今は他に観たい映画もたくさんあるので。
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