映画『危険なメソッド』
【10月28日特記】 映画『危険なメソッド』を観てきた。
デヴィッド・クローネンバーグは好きな監督である。ただ、もっと観ていると思ったのだが、調べてみると映画館で観たのは『裸のランチ』(1991)、『エム・バタフライ』(1993)、『クラッシュ』(1996)の3本だけ、テレビで観たものを含めても、それに『イースタン・プロミス』(2007)が加わるだけであった。
しかし、それだけしか観ていなくても、この映画を観て、ああ、クローネンバーグはここにたどり着くべくしてたどり着いたのだなあという気がする。クローネンバーグらしいテーストはそんなに表に出てこない映画だが、このテーマはやはり今までにクローネンバーグが撮ってきた映画のまっすぐ延長線上にあると思う。
有名な精神医学/心理学者であるフロイトとユングの物語である。そこにユングの患者であり、後に愛人となったザビーナ・シュピールラインが加わる。厳密に言えば三角関係ではないが、しかし、それに近い緊張感がこの3人の中には現れている。
彼らの死後に残された膨大な手紙や日記に基づいた、ほとんど史実そのままのドラマなのだそうである。元々はロンドンで大ヒットした舞台が原作であり、その舞台の作者であるクリストファー・ハンプトンがこの映画の脚本も手がけている。
ハンプトンは『危険な関係』でアカデミー脚本賞を受賞した人だと聞かされると、ああ、なるほどという気がする。
で、まあ、僕も妻の影響で少しはこの辺りの世界の知識もあるのだが、映画を見終わった感想としては、いやはやそれにしても精神分析医というのは大変なもんだ、という甚だストレートなものだった。
ともかくストーリーというか、この展開がすごいのである。
ユング(マイケル・ファスベンダー)はフロイト(ヴィゴ・モーテンセン)の著書を読んで心酔している。そこへ、ドイツ語を話すインテリの統合失調症患者ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)が入院してくる。ユングは彼女に対して、フロイトが提唱した対話療法を試してみて、彼女の病の遠因が彼女の幼少時からの性的衝動(マゾヒズム)にあることを突き止め、彼女は一気に回復する。
ユングがザビーナの症例をフロイトに送ったことがきっかけで実際にフロイトに面会しに行くことになる。初めて会った2人は見事に意気投合して、なんと13時間もぶっ通しで話をする。
一方、ザビーナは治療を受ける中で所謂「転移」が起きる。即ち、心を許して話を聞いてくれるユングに、患者と医者という関係を超えて恋心が芽生えてしまうのである。それに対してユングのほうもザビーナに対して「逆転移」に陥ってしまい、とうとう肉体関係を結ぶことになってしまう。彼女が幼少時から快感を覚えた、鞭打って辱めを与えるというやり方で。
そんな暮らしを続ける一方で、ザビーナはユングの教えを受けて自らも心理学者として一本立ちして行くことになる。
ユングが当初フロイトの弟子であったのに後に袂を分かった話は有名だが、その過程においては原因の大きなものとしてザビーナの存在が絡んでいる。
そして、ユングの妻エンマ(サラ・ガドン)というのがこれまた凄い女性なのである。彼女は夫を愛し、夫に愛想をつかされることを極端に恐れ、愛人の存在を認めながらなんとか自分のほうに振り向かせようとして、あるときは健気な、あるときは金に任せた策を弄する。
そしてもう一人、ユングをザビーナとの関係に駆り立てたグロス(ヴァンサン・カッセル)という男が出てくる。これまたものすごく破天荒な登場人物で、自らがフロイトの弟子の精神科医であるが、ユングの患者であり、そして奔放極まりないフリーセックス論者なのである。
この辺の関係がどろどろに絡まって、物語から目が離せない。クローネンバーグ的な映像表現というのは時々仄見える程度でそれほど強烈ではない。だが、この展開は強烈である。
「転移」とか「逆転移」とかいうことを聞いたことのない人が見たら少し分かりにくいドラマかもしれない。これは現在の療法においても解決できていない大きな問題なのである。
いやはや、精神分析医というのは大変である。それだけの危険を冒して患者に接する。さまざまな仮説を立てるのだが、それを実証することはほとんどできないまま、治療に応用するのである。
妻の iPhone に入っていたユングとフロイトの写真を見せてもらうと、今回の役者2人とそっくりである。それぐらい史実に忠実に描いた映画のようである。クローネンバーグがそんな映画を撮ったのが意外な気もするし、最初に書いたように必然であるような気もする。
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