手塩にかける
【9月3日特記】 8/29の記事に「どうしてみんなはパソコンのメインテナンスをちゃんとやらないのだろう?」と書いたら、「自動でやってくれるのが基本だから」というリアクションがあった。
なるほど、そうなのか、と思う。
自動ということがいろんな分野でデフォルトになりつつあるのだ。それを全面否定する気はないが、そのことによって「手塩にかける」という感覚がなくなってきているのだと気づいた。それは結構哀しいことかもしれない。
自分の手でいろいろ面倒を見てやって育てていく感じ──この面倒くささの裏側にある愉しみを、もう今の若い人たちは知らないのか!と思う。
特に事物に対する愛である。人間や、ペットなどの生き物に対する愛ではなく、生命のない事物に対する愛。人間や生き物に愛を注いでやると、何らかの形で見返りがあったりする。見返りという言葉がいやらしければ、反応と言っても良い。
ところが、パソコンやインターネットにいくら愛を注いでも、事物のほうからは何の反応もない。なのに不思議に自分が楽しくなるのである。これは偏愛と言って良い。
この偏った愛を知らずにいるのか、今の若い人たちは!
──それを可哀想と思う気持ちよりも、僕は今、偏愛の仕方をなんとか彼らに教えてあげたくて仕方がないのである。
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