生命保険と僕
【8月2日特記】 僕が学生時代に最初の就職内定をもらったのは、とある生命保険会社だった。仮にP生命としよう。
時あたかも売り手市場の好況期で、企業の方から「話を聞きに来てくれ」と呼ばれた時代。
僕は生保会社に対して別に興味も志向もなかったのだが、成り行きで何度か会社訪問して話を聞いているうちに(そして、他企業の試験を受けられないように何度か拘束された後)、気がついたら内定が出ていた。
その後、P生命側の拘束をかいくぐって今働いている放送局の試験を受けて合格した。それで、P生命に断りに行こうとしたら、みんなに止められた。
行かずに電話で済ませるほうが良い。理由も説明しないほうが良い。お互い気の悪いものだし。
コーヒーぶっかけられるぞ。その後で「洗濯代や!」って千円札投げつけられた奴もいるらしい。
「君のために1人、我社に就職できなかった人が出たことについてどう責任取るのか」などと責められるぞ。
等々。でも、まあ、行くのが礼儀だろうというシンプルな判断に基づいて、僕は話をしに行った。
なんや、公務員か? 公認会計士か?
などと言われた。恐る恐る、「放送局です」と返したら、
そうか、残念や
と言ってくれた。少しも咎められなかった。
その時に僕は、もしも将来生命保険に入るようなことがあるなら、このP生命の保険にしようと決めた。
そして、放送局に入社すると、そこにはP生命の辣腕セールス・レディとして名の通っていたKさんが待っていた。みんな「Kさん」ではなく「Kのおばちゃん」と呼んでいた。
新入社員全員がKさんから執拗な勧誘を受けた。しかし僕は、生保なんて結婚してからで良いし、もしも結婚しないのであれば一生入らなくても良いと思っていて、Kのおばちゃんのしつこい勧めをいつもテキトーにかわしていた。
そして、入社して丸2年が経ち、僕は東京支社に転勤になった。そしたら間もなくKのおばちゃんが東京まで追っかけて勧誘に来た。恐らく旅費は自腹である。
それで僕は、
おばちゃん、参ったわ。入るわ。
と言って、P社の生保に加入した。その後もKのおばちゃんは何度か東京に現れ、僕はその都度グレードアップや切り替えをした。
しかし、いつしかKのおばちゃんも引退し、僕が東京から11年ぶりに本社に戻った時には、もうP生命のセールス担当者が誰なのかさえ分からない状態で、放ったらかしになった。
そして本社に10年いて、再び東京に単身赴任になった時に現れたのが、東京でP生命の外交員になったばかりのYさんで、この人が足しげく通ってくれて、放ったらかしになっていた僕の契約を見直し、組み替えのアドバイスをくれた。
僕はそのことに感謝して、契約をP生命の東京の支店に切り替えた。
そして、東京に2年いて、また僕は大阪に戻った。その後、Yさんもまた何度か大阪まで追っかけてきた。恐らくこの人も旅費は自腹で。後から聞いたら、彼女にとって僕が最初の客だったらしい。
「最初の客」なんて言うとまるで娼婦と客の関係みたいだけど、僕にはなんかこの表現が非常にしっくり来るように思える。恐らく彼女にとってもそうなのではないかな、と思う。だから、彼女にとっても思い入れも一入で、徹底的に面倒を見てくれた。
Yさんもまた僕より年上の女性である。そして、もう何年かで定年になるという。僕はそれまでは何があってもYさんとの契約は維持してあげたいと思っている。
今日、Q生命のセールス・レディであるAさんから勧誘を受けて、こんな話をした。
久しぶりにこんな話を思い出したのは、Aさんもまた一途で粘り強い営業担当者だと思ったからである。
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