ロンドン・オリンピック開会式に思う
【7月28日特記】 ロンドン・オリンピックの開会式を見た。毎度のことながら彼我の感覚の違いに驚く。
いくら有名な歴史的事実であり、いくら有名な病院であっても、それをオリンピックの開会式に入れ込むような発想は日本人にはないだろう。しかも、あそこで踊っていた人の多くが実際の医療機関の勤務者だなんて…。日本なら誘いもしないし、誘われても応じないだろう。
そして、ロンドン・フィルに Mr.ビーンを紛れ込ませるなんてこともありえない(笑) それは「不謹慎」の範疇に入ることである。
選手の入場行進ではファッション、特に色の組み合わせに驚く。なるほど、その国ではそういう組合せが成立するのか!──と。
海外旅行の最大の利点は、こういう感覚の違いを肌で感じることができるということだ。そして、必ずしも海外まで出かけなくても、テレビでこういうのを観ていても、それに近い経験をすることができる。
そして、同じオリンピックを観ていても、僕と他の人とでは感心するポイントが違うはずだ。僕らはもっともっと知るべきなのである。彼我の感覚の違いを。
「人はみな同じである」という観点から世界を語り始める人がいる。それはそれで間違いではない。しかし、僕は「人はひとりひとり違う」というところから世界を語って行きたい。
それにしても、日本のユニフォームはいつまでたっても日の丸の呪縛から抜けられず、常に赤と白の2色である。
日本には世界に誇れるような、日本独自の色、そして日本独自の色の組み合わせ、そして、それらに基づく独特の意匠がある。思い切って赤と白から離れて、古くて新しいデザインに挑んでみてはどうだろうか、と開会式を見る度に思う。
別に日の丸の配色が悪いと言うわけではない。ただ、ひとつの発想に囚われるのは面白くないことである。
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