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Wednesday, July 18, 2012

梅雨は明けたか?

【7月18日特記】 僕が住んでいるところは昨日梅雨明けしたらしい。それでふと思ったのだが、僕らが子供の頃は「梅雨明けしました」って明快に断言してたものが、いつの頃からか「梅雨明けした模様」などという弱気で傍観者的な表現に入れ変わっているのである。

昔の気象庁は高らかに「梅雨明け」を宣言していた。さすがに「わしらが気象庁じゃ。梅雨が明けたかどうかはわしらが決めるんじゃい」とまでは言い放たないにしても、まあ、そんな感じだった。

しかし、昔のほうが明らかに天気予報の精度が低かったので、「なんで梅雨明け宣言した翌日から連日雨がふるんじゃい」とか、「ここんとこずっとカンカン照りが続いてるのに何を今さら梅雨明けじゃい」などと言われることも、多分今よりは少なくなかったはずなのだ。

なのに、それにしても今のような他人事みたいな逃げ腰の通知はしていなかったのである。

──それは何なんだろう? 担当者が偉かったのか、世の中が牧歌的だったのか? いや、多分それが当事者意識というものだったのである。

天を観察してもうすぐ桜の花が咲くとか梅雨が明けたとか言うのは気象庁にしかできない仕事である。その仕事に誇りを持っているかどうかとか、成果に自信があるかどうかとかいうこととは関係なく、それを見極めて、決めて、お知らせするのは自分たちの仕事であるという意識があったのである。

今の言い方は、ともかく揚げ足を取られないように、怒られないように、誰に責任があるのかを明示しないように、訴えられても裁判で負けないように、責任回避することが第一の目標になっている。

多分、表現形態が世相とか時代とかいったものを反映して変わって行くのである。

そして、今でもある意味当事者意識というものがあるとしたら、それは当事者として一番大事なこと、つまり、責任をしっかり回避しておくという意識なのだという見方もできるのかもしれない。

担当者個人を責めて終わりにするべき問題ではない。今がそれだけ暮らしにくい時代だということかもしれない。

でも、少し重く考えすぎているのではないかという気もしてならないのである。そろそろそんな世相の梅雨明けを宣言してみてはどうだろうか?

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