【7月21日特記】 映画『ヘルタースケルター』を観てきた。岡崎京子の原作漫画は、それが世に出てかなり経ってからであるが、2004年に単行本で読んだ。強烈な印象を受けた。だが、例によって詳細はあまり憶えていない。
ただ、今回りりこを沢尻エリカ様が演じると聞いて、それは何が何でも見なければ、と思った。これほどの嵌り役があるだろうか。というか、この役をできるのは沢尻エリカだけだろう。
しかし、不安があった。それは監督が蜷川実花であるということ。僕にとってはただ綺麗な画を撮るだけの監督という印象である。
そんなにしょっちゅうあることではないのだが、『さくらん』は WOWOW から録画して見始めたものの、あまりにつまらなくて、とうとう途中で投げ出して消去してしまったのである。
しかし、今回観に行って良かった。不安は拭われた。
原作の違いなのだろうか? 僕は『さくらん』の原作を読んでいないので、原作同士の比較をすることはできない。あるいは原作を読んでいるかいないかという違いだったのか? この『ヘルタースケルター』については原作の息吹と言うか、脈動と言うかがしっかり映画の中に根付いているのを感じる。
ただ、蜷川実花はやっぱり基本的にフォトグラファーである。流れや動きを追う人ではなく、瞬間を切り取る人である。だから、必然的にカット割りも細かい。だから、観ていると少し疲れる。リズムが速いばかりで変化がない。
長回しは使わない。たまに少し長めのカットもあるが、ふいにカットが変わって、ああ、僕だったらもう少し同じカメラで辛抱するけどな、などと思う。
そして、僕が思うに、蜷川実花は構図の人と言うよりは色彩の人である。この色彩感覚は『さくらん』の時と同じ印象であるが、今回は特にファッション界が舞台なのでカラーリングは思いっきり華やかで、服もメイクもネイルも本当に絢爛たるものである。
そこへ持ってきて、もとより蜷川実花は多分写実よりもイメージに走るタイプであり、加えてストーリーの上でもりりこの幻視が出てくるので、現実の風景の上に、さらに幻想的な色が次々に重ねられて行く。
絵の具が塗り重ねられる感じではなく、スポットライトが何重にも当たる感じ。色が重なれば重なるほど明るくなってくる。
映画の出だしは全身美容整形を受けて(と言っても写実的なシーンではなく、あくまで映画を始めるにあたって提供されるイメージなのだが)包帯でグルグル巻きになったりりこである。
包帯越しに乳首の形が分かる。そして、包帯を解いて胸があらわになる。その乳首のなんと可愛らしいこと。僕は思わず吸いたくなった。
って、何を馬鹿なことを書いている、と思われるかもしれないが、この映画に於いてはこういうことがちゃんと描けているかどうかがとても重要だと思う。しかも冒頭である。欲情させるところでちゃんと欲情させることのできるりりこでなければ、ヘルタースケルターは始まらない。
今さらストーリーを書くこともないと思うが、一応書いておくと、目玉と耳とアソコ以外は全部作り物と言って過言ではないトップモデル・りりこが主人公である。そして、その彼女の身体が、無理な整形に耐え切れずに崩壊して行く話である。テーマもモチーフも極めて単純である。
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