『女の子を殺さないために』川田宇一郎(書評)
【6月10日特記】 文学論である。あまたある村上春樹の謎解き本のうちのひとつと言っても良いが、扱っている範囲はもっともっと広い。その広い分だけ、今どきこんな本は流行らないのかもしれないが。
実は著者の川田宇一郎は知っている人である。と言うか、ウチの会社にいた。と言うか、入社試験の2次面接だか何だかの2人の面接官の片割れが僕だった。彼はその時すでに群像新人賞の受賞者であったが、だから面接を通したというわけではない。ただ、彼が入社してからは、いろんな人に「なんであんなヤツ通したんですか?」と言われた(笑) そして、そうこうするうちに彼は会社を辞めてしまった(再笑)
あれから何年経ったのだろう? 彼は群像新人賞を受賞した時のテーマをそのまま持ち続けて、それを近代日本文学史全体に拡張してこんな面白い評論にまとめた。
僕の読んできた作家、とりわけ夢中になって読んできた作家が結構大勢取り上げられている。いつも書くように、僕は一度読んだ小説でも、少し時を経るとほとんど完璧に忘れてしまうのであるが、この本を読んでいると不思議なことに、忘れていたあの時の感動が不意に甦ってきたりする。
ヘルマン・ヘッセ、川端康成、坂口安吾、J・D・サリンジャー、安部公房、石原慎太郎、柴田翔、庄司薫、古井由吉、蓮實重彦、柄谷行人、村上春樹、斎藤美奈子、氷室冴子、浅田彰…。ありとあらゆる作家と作品が関係付けられる。
特に浅田彰の『逃走論』をX軸に、坂口安吾の『堕落論』をY軸に据えたような2次元的分析はめちゃくちゃ面白い。他にも村上春樹『風の歌を聴け』のハートフィールドと庄司薫の年譜を符合させてみたり、時々出てくる図解も、よくまあこんなことに気づいたなあと思うほど整合性があって、サリンジャーからナウシカまで手品みたいに繋がってしまう。
しかし、まあ、僕はこれを読みながら、いやいや、これは嘘だ、騙されてはいけない、こんなはずはない、と繰り返し繰り返し、綻んでくる口許を引き締めながら唱えていたのである。
例えば、川端康成が、庄司薫が、村上春樹が、そんなことまで考えて、そういうところまで計算して、そこまで明快な全体像を持って彼らの小説を書いていたはずがない。この本の著者が見つけた共通性は、まず間違いなく単なる偶然の一致なのである。
でも、それはそれで良いのではないか。それが「読み込む」という作業なのである。そして、どんなに偶然の一致であれ、深く深く読み込んだ結果であるこれら一連の発見は、間違いなくべらぼうな発見なのである。それを体系的に書物に編む作業はまた、極めて知的な遊びなのである。僕らは彼の深い読み込み作業に敬意を表しながら、この遊びを軽やかに追体験して行けば良いのではないだろうか。
それは、例えば好きな作家に対する愛情の表明である。好きな作家を酷評する評論家への反論、いや、彼らに対する冗談めかした意趣返しみたいなものである。
それがとても楽しい。
この文中に自分の好きな作家が3人以上見つかった人は、読んでみる価値は充分にあると思う。
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