『あの川のほとりで』ジョン・アーヴィング(書評)
【5月4日特記】 アーヴィングの12作目の小説。日本では4年ぶりの出版であり、当然読むほうも4年超の間隔があいているのだが、読み始めたらすぐに馴染んでしまう。そう、出だしこそ少し読みにくくて進まないが、どの人物がこの長い物語の主要人物なのかが見えてくると、物語の川は一気に流れだす。原題と同じように曲がりくねりながらであるが。
ここにはいつものアーヴィングがいる。アーヴィングのファンならもう読み飽きたくらいのアーヴィングが。
いつも通り、主人公(今回はダニエル・バチャガルポ)のほぼ一生に及ぶ長い長いストーリーが語られる。肉体的な障害を持った人物が出てくる(今回はダニエルの父ドミニク)。熊が出てくる。年上の女性に誘惑される。レスリングをする。作家になる。そして、子供に事故が起きる。何か恐ろしいことが起きるのではないかという予感がずっと付きまとう。
──アーヴィングの愛読者にとってはお馴染みのモチーフである。いつもの材料である。なのに出来上がってくる料理は毎回違う。いや、ひょっとすると毎回同じなのかもしれないが、絶対に飽きさせない何かがある。
今回は人物の造形が特に凄い。ドミニクとダニエルの父子、そして樵のケッチャム、シックスパックと綽名される大女などメインの登場人物はともかく、皿洗い女のインジャン・ジェイン、敵役のカウボーイ、ダニエルの再婚相手カルメラ、ヒッピーの大工、ホームレスのラムジー、ダニーの2軒の家の2人の家政婦(メキシコ人とアメリカ先住民)──誰をとっても強烈に個性的であるが、中でもダニエルの息子を襲う無人のブルー・マスタングと「ときどき天使になる」レディー・スカイの2人(?)がひときわ鮮やかに記憶に残る。
ドミニクとダニエルの父子は、彼らの命を狙って執拗に追ってくるカウボーイから逃れるために、名前まで何度も変えながら、アメリカはおろかカナダにまで逃げ続ける。ドミニクには優れたコックとしての腕があり、ダニエルには作家としての成功がもたらされるが、カウボーイへの恐怖は去らない。そして、郷里にいて時々彼らを訪ね、支えてくれるのが老いた樵ケッチャムである。おそらく彼がこの小説の中で一番強烈な光を放っている登場人物である。そんな彼らの旅と仕事と恋の話に続いて、物語はそこにベトナム戦争と9.11を絡め、やたらと多国籍の登場人物の目を借りながら、病んだアメリカを描いてさえ見せる。
今回の作品に特徴的な面白さは、まさに最後のパートに至って、作家ダニエルがこの小説を書くという形をとって、実際にアーヴィングがどのようにしてこの小説を書いたかを種明かしするような展開である。途中何度も、フィクションであるはずの小説を実生活と結びつけて議論されることにうんざりしているダニーを描いておきながら、である。
このあたりの物語の構築の巧みさと凄さには本当に舌を巻いてしまう。長編小説ってこんな風に組み立てるのか、とため息が出るほどである。
そして、圧巻は最後の30ページである。本当に胸が熱くなってくる終わり方である。人生の希望を描いている。しかし、人生の希望は、これだけの紆余曲折を乗り越えたところにこそ現れるのだという、作家の信念を描いているようにも見える。
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