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Saturday, April 21, 2012

映画『僕等がいた 後篇』

【4月21日特記】 映画『僕等がいた 後篇』を観てきた。観たものを片っ端から忘れて行く僕からすると、これぐらい短いインターバルで前後篇を上映してくれると助かる。前篇の設定やいくつかの場面をまだかなり鮮明に憶えているから。

ちなみに、僕が書いた前篇の記事はここにある。

で、やはりこの映画は前篇を見て後篇を見なければ意味がない。全体の構成からすれば前篇は本当に助走程度の動きしかないのだが、しかし、この高校生の純愛一色の前篇を見ているからこそ後篇の激動が生きて来るのである。

もちろん後篇だけ見ても多分大体のことは解る。だが、何と言うか、この両篇は明らかに地続きなのである。

例えば、今回の映画は矢野(生田斗真)の独白から入る。前篇は高橋(吉高由里子)の独白から入った。ほんのちょっとした細工なのだが、こういうところにドキッとする。

で、後篇全体を通じてその手法を貫くのかと思えばそうではない。映画は最後に前篇の冒頭の高橋の独白に返ってくる。そう、あのカメラがグルグル回るシーン。

そこまで観て僕らは、ああ、そうか、こう繋がっているのか、と声を上げたくなる。

ストーリーは青春であり、純愛であって、年配の観客にはこそばゆいものかもしれない。しかし、これはかなり見事に構成されている。前篇のキラキラした感じが、打って変わって痛々しいトーンになる。

本当に見ていられないくらい、息が詰まりそうなほどの辛い話である。矢野に次々と襲いかかる不運の連続は、昭和を乗り越えて明治の香りさえする、古典的なすれ違いのメロドラマである。

そして、この話のすごいところは、どんなにひどい不幸や試練に見舞われても、山本(本仮屋ユイカ)=高橋=矢野=竹内(高岡蒼佑、スクリーン上のクレジットではまだ「蒼甫」)の四角関係が微動だにせず続いて行くことである。

ほとんどのドラマでは外的要因によって人間関係が変わっていくのに対し、ここでは何が起きても変わらない4人の関係性がある。この設定がすごいと思った。

で、この四角形の2辺を占める本仮屋と高岡が本当に見事な演技をしている。

本仮屋は『スウィングガールズ』以来、高岡は『パッチギ!』以来、随分贔屓にしてきた役者なのだが、2人ともこの作品は生涯に亘って代表作と言われるのではないだろうか(ま、高岡には『さんかく』というものすごい代表作があるが)。

そして、その四角形に新しい辺として投入された千見寺(比嘉愛未)が、この果てしない愛憎の図形を新たなものに変形して行く鍵になる。──この辺りもよくよく練られた作品だと思う。

今回も、臭いけど良い台詞が満載である。そして、印象的な構図も多い。特に恵比寿ガーデンプレイスのロケなどは、映った途端にあっと声を上げそうになるくらいの良い画だった。高橋の水玉のミニのプリーツとか、死んだ姉の服を着てきた山本とか、衣装の印象も非常に強い。

前篇で乱発された「バカッ」という台詞は、ここでは目一杯ためてから使われる。展開上そうならざるを得ないのだが、しかし、巧い。

この話は強い愛のストーリーではあるが、よく考えてみると決して強い人間たちの話ではない。弱くて不器用で間違いだらけの人間たちが、長い長い時間をかけて人生の試練を乗り越えて行く話である。それだけに非常に後口の良い映画になった。

三木孝浩監督、『ソラニン』の時よりも明らかに腕を上げていると思う。

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