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Sunday, April 29, 2012

映画『テルマエ・ロマエ』

【4月29日特記】 映画『テルマエ・ロマエ』を観てきた。大入りである。

しかし、例によって原作を読んでいないので原作からそうだったのか映画化の際にそうなってしまったのか分からないが、要するにジャスト・ワン・アイデアの物語なのである。そういう意味では昔ドリフターズがTV番組でやっていた「もしも」のコーナーに近いものがある。

いや、面白くないと言っているのではない。面白い。

同じ「もしも」でも、「もしも古代ローマの公衆浴場の建設技師がタイプスリップして現代の日本の銭湯や浴槽メーカーのショールームに現れたら」などとという奇想天外で込み入った「もしも」はそんじょそこらの人には考えられまい。

まさに、イタリア在住の、イタリア人の夫を持つ日本女性漫画家でなければ考えつかないオリジナリティがある。古代ローマと現代ニッポンの比較を、シーザーやネロではなくハドリアヌスという人物を取り上げて、しかもお風呂という視点で語るなどという暴挙に近い発想には素直に喝采を送りたい。

しかし、残念なことに、そこまでの設定については、ほとんどの観客が観る前から知っているのである。だから、観た時の驚きはそれほど大きくなく、むしろ観る前から期待するところがもっと大きくなってしまうのである。

もちろん、ジャスト・ワン・アイデアと言っても仕掛けがないという意味ではない。細部にはいろんな工夫や遊びがあって、楽しませてくれる。でも、やはり単一の根から枝分かれした展開という印象があって、「もうひとつ何かほしい」感が出てくる。

上戸彩が演じた真美という役は映画のオリジナルらしいのだが、なぜいつも真美のいるところにルシウス(阿部寛)がタイムスリップしてくるのか、というようなもっと大きな謎解きがあるのかと期待したが、全般に存外深くない構造の物語である。

とは言え、イタリア最大のチネチッタ撮影所のオープンセットでのロケに加えてCGも余すところなく駆使し、日本人とイタリア人が混じって古代ローマ人を演じ、ラテン語と日本語の壁を逆手にとって映画の中で遊んでみたり、いろいろと面白い。

ある種どう考えても無理な話をどう考えても少し無理がある作り方で映画化しながら、なんだか不思議なムードを醸しだして煙に巻いてしまった、いや、湯気に巻いてしまったと言うべきか(笑)

なにしろ阿部寛も市村正親も北村一輝も立派なローマ人に見えてくるから不思議である。そしてまた、神戸浩やいか八朗ら、共演の「平たい顔族」が絶妙なおかしさである。

でも、これは2時間の映画よりも、比較文化論的なおかしさを小出しにして1時間1クールのテレビドラマにしたほうが、より観客を引きつけたかもしれない。

もっともっと爆笑ものに仕上げることもできたはずだが、それをしなかったのは製作者の考えるところあってのことらしいので仕方がない。まあこんなもんかなあ、って感じの映画であった。

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