『恋する原発』高橋源一郎(書評)
【3月7日特記】 まあ、なんなんだろべ、これは? なんですかね、一体?
タイトルからしてテーマは原発告発かと思ったら、まるでできそこないのポルノじゃないですか! なんですかね、「大震災チャリティAV」って?
んで、ふざけた文体。ポップと言うか、スカスカのレイアウト。進んでるのか進んでないのか、同じ所をぐるぐる回っているだけなのか、よく分からないストーリー。
まさか舞城王太郎の真似をしようとして失敗に終わった小説というわけでもないでしょう(まあ、文中に引用があったので、多少は舞城を意識してるのかもしれませんが)。そう、これは明らかにわざとなのです。
作者が何を言いたかったのかを整然と述べるのは不可能ですが、あの地震と原発事故を目の当たりにして、こういうものを書かずにいられなかった衝動だけはひしひしと伝わってきます。そう、あのあり得ない状況に対しては、きっとこういう「不謹慎」をぶつけて行くメソッドしかないのです。
あんまり筋を説明しても仕方がないでしょう。
冒頭に書いたように、この小説は大震災チャリティAVの監督の一人称で語られます。どこからが監督の語りで、どこまでが作ったビデオの内容なのかも判然としません。
だらだらと、「この話一体どうやって終わるの?」と心配になるような記述が続きます。電車の中などで読んでいると、太字で印刷された「おまんこ」等々の文字が山ほどあって、周囲から覗かれていないか気になってしまいます。
かと思うと、終盤に入って突然「震災文学論」と題したクソ真面目な論文になります。これがものすごいギャップであるとともに、内容的にもものすごいのです。スーザン・ソンタグと川上弘美の『神様(2011)』とナウシカと水俣病のルポルタージュを統合して震災を語っています。この論理展開を前にして、我々は呆然と立ち尽くすのです。
すると、またクソみたいな小説に戻って行きます。
何度も書きますが、そう、これはわざとなんです。ヤケクソでもなく失敗作でもなく、この如何ともしがたい岸辺に立って、作家はこういうものを吐き出すしか仕方がなかったのです。正直それ以外のことはよく解りません。ただ、そのことだけがびしびしと伝わってきます。
あの地震は、あの事故は、それほどのものでした。なんなんですかね、一体これは?
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