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Monday, February 13, 2012

『ジェントルマン』山田詠美(書評)

【2月13日特記】 とても山田詠美らしい小説だと思う。愛にゲイもバイもヘテロもない──そういう分け隔てない感覚に基づいて、分け隔てない恋心が分け隔てなく描かれている。恋するって、痛くて、苦しくて、危ういものなのである。それは相手が誰であろうと関係がない。

読み始めて2ページほど、僕らは状況がつかめない。それは恋する2人と言えば、僕らは必ず男女の組合せを思い浮かべてしまうからである。アニー・リーボヴィッツによる有名なジョンとヨーコの写真になぞらえられているので、なおさら勘違いをしてしまう。だが、恋愛はヘテロ同士だけのものではないと僕らは知る。さらに、カップルでいるからといって必ずしも単純に互いに恋する関係であるとも限らない。──夢生と漱太郎はそういう関係である。

漱太郎は非の打ち所のない優等生でありながら、優等生ならではの嫌味なところがなく、万人に好かれている。だが、その胡散臭さに気づいていたのは、クラスでは夢生と圭子だけだった。そして、ある日、漱太郎の予想だにしなかった面があらわになる事件を目撃してから、彼は一気に恋に落ちる。生涯の友である圭子には隠したまま──。

人物の造形がすごい。どう考えてもそんじょそこらにいるはずのないキャラである漱太郎が、ここまでリアリティを持って僕らの前に立ち現れてくるのは、ひとえに山田詠美の筆力によるところである。

これほど異常なもの、あるいは異形のものを描いて、それでもこれだけの説得力があるのは、本質に到達しているからである。本質というのは男であるか女であるか、ホモであるかヘテロであるか、正常であるか異常であるか、そういう差異を超越して厳として存在する何かなのである。そして、どんな異形の2人の間にも厳として存立可能なものが愛なのである。

このことに陽を当てるために、ストーリーはますます異常な、扇情的な、唾棄すべき結末へと転がり堕ちて行く。

終盤少し書き急ぎすぎた感もないではないが、しっかりと構築された恐るべき小説世界である。

愛するって痛いのである。そしてその痛みは、一見誰も愛していないような“ジェントルマン”漱太郎の中にもある。何かを愛さないと生きていけないから──生きることが痛いのはそのためなのである。

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