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Monday, February 20, 2012

立つ比重

【2月20日特記】 小学校の同級生で篠田章子(仮名)という女の子がいた。一応プライバシーに配慮して苗字だけ偽名にしてみたが、名前のほうは本当に章子ちゃんである。

さて、その章子ちゃんと同じクラスで、しかも隣同士の席に座っていた時に漢字の書き取りのテストがあった。

僕は国語や漢字は割合得意だったので早くに全問を書き終わった。ただし、1問だけを除いて。

それは「ぶんしょう」という問題だった。「ぶん」が「文」であることは分かっていたのだが、「しょう」がどうしても思い出せない。

そうすると、隣に座っていた章子ちゃんが、ひそひそ声で話しかけてきた。

「はやっ、もうできたん?」
「いや、1コだけ分かれへんねん」
「何?」
「ぶんしょうのしょう」
「アホやなあ、シノダアキコのアキやんか」
「それは分かってんねんけど、思い出されへんねん」

そう、それは分かっていたのだ。篠田アキ子のアキ。でも、いくら考えても大まかな字の形さえ浮かんでこない。それで困っていたのである。すると、章子ちゃんが、まるで油断している僕の虚を衝くようにするするっと言った。

「たつひじゅう、やんか」
「タツヒジュウ?」

そうか、立、日、十か!

僕は仕方なく解答用紙に「文章」と書いた。分かっているのに書かないという選択肢はなかったから。でも、自分で思い出したのではなく、隣の女の子に教えてもらったのだという、罪悪感と言うのは少し大げさかもしれないが、なんか気持ちの悪い感じが残った。

それは、「教えてもらわなくても、自力で思い出せたかもしれないのに」という、プライドを傷つけられた感じでは決してなかった。むしろ、(小学生だからそういう表現は使わないにしても)なんか女の甘言に乗って犯罪の片棒を担がされたような感覚である。

逆の立場なら、僕は絶対に彼女に答えそのものを教えたりはしなかったろうと思う。それは自らがカンニングするのと同様に「やってはいけないこと」であるという意識に凝り固まっていたからである。

ところが、章子ちゃんはそうではなかった。こんな軽やかな、そして鷹揚な子がいるんだ、と思い知らされた気がする。

長い人生の中で、世の中には自分とは違う感じ方をして、自分とは違う判断を下して、自分にはできないような行動を取る人がいるのを知るポイントがいくつかある。

これはそういうポイントのうちのごく最初の頃の1つだったのではないかな、と時々思い出してはそんな風に思うのである。

その時の僕の書き取り試験は確か満点だったと思う。その時の僕および彼女のとった行動が社会的に満点であったかどうかはともかくとして──。

でも、こういう満点の取り方もあるんだ、とか、いや、満点なんて所詮そんなもんで、それ自体に大した値打ちはないんだ、とか、それ以来いろんなことを考えるようになったように思う。

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