映画『しあわせのパン』
【2月5日特記】 映画『しあわせのパン』を観てきた。
予告編を見る限り、近年流行りの、ろくに何事も起こらない、都会は悪で田園が善であるという単純な思い込みに囚われた、癒しだとか何だとかいう、そういう映画かと思った。何と言うか、そういう薄味のドラマにはもう食傷気味なのである。
だから観るのはやめておこうと思っていたのだが、決してそういうドラマではないという評をたまたま読んだので、気を取り直して見に行った。
しかし、結果的には、これは僕には全くお呼びでない映画だった。いや、僕がこの映画にとってお呼びでなかったのかもしれないが。
如何にも頭で考えましたという感じの、むせ返るような“作り物感”が溢れた映画だった。台詞が非常に固いのである。
──ちょっとあまり良いことを書けそうな気がしないので、気を悪くしたくない方はどうぞここらで読むのをやめてください。
北海道は洞爺湖のほとり、月浦という小さな町でオーベルジュ兼パン屋を営む夫婦の話である。
夫の「水縞くん」を大泉洋が、妻の「りえさん」を原田知世が演じている。この配役は良い。ただ、夫婦のこれまでの経緯や背景が、語られているようでさっぱり語られていない。心に傷を負っていそうに見えるが、それがあまりに抽象的なのである。
そこに現れる客たちと、この夫婦の間で一応のドラマが繰り広げられるのだが、この客たちもまた描かれているようで深くは語られていない。そこに作り物のように綺麗な月が輝いている。
こんな人口密度の低い土地で、パンを焼いて生計を立てるのは並や大抵のことではないだろう。いくら土地が安いと言ったって、この店を建てるのに借金も作っているはずだ。その借金を返しながら2人の口を糊して行くのは大変なはずだ。
いくらあがた森魚が毎日食べに来ても、たかが3箱ばかりのパンを小学校に納入していても、その暮らしはかなり厳しいはずである。それに、あれだけしか客がいないのに、あんなにパンを焼くとカビを生やすのがオチではないか?
そういうことをすっ飛ばして、生活の楽しく美味しく小綺麗なところだけを、そして人間の善意だけを描こうったって、それは信用する気にならないのである。
例えて言うなら、仮に河童のコスプレをした村長が荒川に浸かっていようとも、そこで描かれる喜び悲しみがリアルのなものであれば、僕はそれについて行ける。いや、むしろ、そのくらいデフォルメしたほうがテーマが際立ってくるとも言える。
でも、まるでフツーに写実的なドラマのような顔をして、生活といううすのろを全部切り落とした上で、とても抽象的な心温まる芝居を見せられても、僕は白けてしまうだけなのである。
郵便配達人に切手の貼っていない手紙を託すような人たちを、僕は信じないのである。ここまで来るともう「坊主憎けりゃ袈裟まで」の世界だが、パンフレットに載っている忌野清志郎の略歴に、彼が既に故人であることが書いてないのも気に入らない。これは意図してのことなのだろう。僕とはセンスが違いすぎる。
で、終盤、老夫婦の客を演じた中村嘉葎雄と渡辺美佐の、ほんとに名人級の芝居を見せられたり、パンを焼くシーンが頻繁に出てきて、その焼けたてのパンをちぎって2人で分け合うシーンでは湯気がフーッと上がるところが愛おしいくらいに素敵で、みんなで助けあう人たちがいて、エンディングでは忌野清志郎と矢野顕子の心に響くデュエットが流れる。
──そんなこんなで、観ている人たちに根拠のない希望を与える、非常に悪質なエンタテインメントだと思う。
もっと下手糞なら害はないのであるが、とても魅力的に綺麗な世界が描かれている分、僕はたちが悪いと思うのである。僕にとっては嘘のしあわせのパンだった。
Comments
私もがっかりした一人です。
「悪質なエンターテイメント」までは思いませんでしたが。
あんぱんマンみたいな世界なんですよね。
実は本(これも監督の書いたものですが)を先に読んでいたのですが、こちらでは水縞くんとリエさんのことがもう少し書かれています。
そして最後に褒めてらした渡辺美佐が演じる老婦人が水縞くんとリエさんの関係に一言釘をさします。
その辺も映画には全くなく、残念でした。
あっこちゃんとキヨシローの歌が大好きなだけに残念でした。
Posted by: | Monday, February 06, 2012 13:51