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Thursday, January 12, 2012

『日本列島 いきものたちの物語』社内試写会

【1月12日特記】 社内試写で映画『日本列島 いきものたちの物語』を観てきた。

動物もののドキュメンタリである。岩合光昭や中村征夫などという世界的に有名な存在を含めて、27人の錚々たる動物カメラマンたちが撮影している。

言うまでもないが、こういう企画で難しいのは、動物たちを相手に物語の台本を書くわけには行かないということである。

だから、粘って粘って、どこまてインパクトのあるシーンをカメラに収めることができるかが勝負になってくる。あとはそれをどう編集して再構成するかである。

そう、この映画の終わりには、「この映画は取材フィルムを再構成したものです」という趣旨のクレジットが出る。

と言われても何のことだか分からない観客の方もおられるかもしれないが、要は撮った映像を必ずしも撮った順番に繋いだものではないということだ。ある種の意図を持って編集されたものであるということだ。でも、だからと言って、捏造や歪曲ではない。実際にそうであったであろう光景を観客に解りやすく提示するための方便である。

むしろ作品としてのドラマ性を無理やりに打ち出そうとするなら、もっとあざとい、あくどい編集も可能なはずなのだが、それをやっていないところにこの作品の良心が感じられる。

だから、必然的に物語はやや尻切れトンボになる。見終わった子供たちはお母さんに訊くだろう。「ねえ、あのヒグマの兄弟の“ポロ”と“ポン”はあれからどうしたの?」「子猿の“メダカ”は死んじゃったの?」──と。

「そうだね、“ポロ”と“ポン”は今ごろ別々のお家で一生懸命暮らしてるんだと思うよ」とか「きっと、“メダカ”はどこか別の群れに入って生きてるんだよ」などと、この映画の続きをお母さんが聞かせてあげれば良いのではないだろうか?

そういう意味では子供と一緒に観に行くにはうってつけの映画である。

ただ、確かに一つひとつのシーンは、それぞれの動物たちの表情にしても、四季の移り変わりにしても、大変綺麗な画で構成されているのだが、全体として驚かされる演出に慣れてしまった大人が独りで観に行くには、少し刺激が足りない映画であったかもしれない。

エンディングで使っていた、それぞれのカメラマンたちが苦心惨憺して撮影に臨んでいる様を、もっと本編の中で紹介するなどしたほうが良かったのかもしれない。

ま、でも、良質のファミリー向け動物ドキュメンタリであると言って良いのではないだろうか。

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