卒論 PDF化
【1月3日特記】 この休みを利用して、大学の卒論の PDF化を完了した。昨夜のことである。
実は、この卒論原稿はワープロで作成した文章のプリントアウトとしてのみ保存されており、肝心のデータのほうは失われてしまっていたのである。
一旦はワープロ専用機のデータとして保存されていたものの、当時のワープロ専用機は今から考えたら信じられないくらいメモリが少なく、新たな「大作」を書こうとすると、過去の大作は消してしまうほかなかったからである。
紙データしかないようになってからずっと気になっており、いつかスキャナを買ったらこれを読み込んでデータとして保存しておきたい──それが僕の念願だった。
スキャナ付きのプリンタを買ったのはもう何年か前になるが、それをスキャンしてOCRで読み込んで、一言一句手作業で訂正して──という作業はとても時間と根気のいる仕事で、とりあえず手は着けたものの、今日まであまり進まずに放置してきたのであった。
それが、この正月休みに一気に完成に持って行くことができた。深い感慨がある。
卒論のタイトルは『ニュー・ミュージックの新展開』。
知っている人は知っていることだが、僕は経済学部卒である。しかし、タイトルを見て分かるように、これは普通経済学で採りあげられるようなものを素材にしていない。
まあ、多少経済学をかじっていたこともあって、文中経済学的な考察も顔を出さないでもないが、全体としては決して流行歌の経済学的側面からの分析ではない。
実は僕の卒業した学部には制度としての、必須単位としての卒論がなかったのである。
「何だ、卒論と言えば恰好良いが要するに勝手に書いた文章ではないか」と言われても仕方がないが、でも僕にとってはこれは他大学の学生が書くのと同じ歴とした卒論なのである。
学部としては義務づけてはいなかったが、僕の所属していたゼミではこれを義務づけていたのである。ただし、テーマは何でもよろしい。経済学でなくてもよろしい。夏目漱石でも街の景観の変化でも、何でもよろしい。ただ、卒業の記念に何か残して行きなさい──そういう訳である。
それで僕は当時一番の興味の対象であったニュー・ミュージック論に取り組んだ。ニュー・ミュージックとは何なのか? 歴史的に見ればどういう意味合いと位置づけを与えられるのか? その新しさ、可能性、そして、限界は奈辺にあるのか?
僕が心血を注いだ分析がそこに残されていた。
今読み返してみると、大学時代の自分は随分文章が下手で、読みにくく整理されていない表現が多いのに驚いてしまった。全面的に筆を入れることも考えたが、これも歴史の証明であると考えて、句読点等の修正だけに留めることにした。
論点の方は、我ながら却々明快である。今もって充分通用するように思う。
最近は、過去の投稿なども含め、自分で書いたものの9割以上は自分のホームページやこのブログなどネット上にアップしている(こないだ数えてみたら3000編ほどあった)。が、この文章については、歌詞の引用が少なくないのと、特定のアーティストに対する極めて批判的な意見を陳述しているのでアップはしない。
そもそも誰かに読んでもらいたいからではなく、純粋にアーカイブ化が目的でやったことなので、それでもものすごい充足感がある。まるで人生の目的をすべて成し遂げたような感慨を、今ひとりで噛みしめている。
2012年1月2日、卒業から30年以上を経て。
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