映画『アントキノイノチ』
【12月3日特記】 映画『アントキノイノチ』を観てきた。
この映画を褒めた人は、僕の周囲には実はひとりしかいない。特に会社ではすこぶる評判の悪い作品である。でも、今日観てみて、それほど悪い映画だとは思わなかった。それはひとえに岡田将生と榮倉奈々の好演があるからである。
僕は岡田将生出演の映画を映画館で見るのはこれで9本目だが、最初の頃から割合注目していた。毎回毎回違ったタイプの役を宛てがわれてこれだけ巧くこなすのは、と言うよりも、毎回違ったタイプの役が回ってくるところがすでに彼の実力を物語っている。
そして、榮倉奈々だが、雑誌モデル出身ということもあって、僕は勝手にアイドル的なイメージで見ていて、映画も観たことがなかったのだが、今年『東京公園』で初めて見て、素直に脱帽した。細かいニュアンスを演じられる女優だと思った。
この2人がとても良い。2人揃ってつらい過去を持っている役どころだ。そして2人とも、相手の言葉に対してほんの一瞬だけ、微妙に間を空けてから返事をする。岡田将生の方は吃音がある設定なので当然と言えば当然だが、榮倉奈々のこの間は、見ていて「いいなあ」と思う。
パンフを読むと、瀬々監督はその辺はかなり役者のやりたい間合いでやらせていたようだ。
実は僕はこの映画の試写会に行ったのだが、当日上映機器の不具合で何度も途中でフィルムが止まり、そのたびに2~3分待たされ、挙句の果てになんと試写会は中止になったのである。そのためちょうど真ん中のシーン辺りまで、とぎれとぎれながら僕は一度は観ているのである。
そのことがこの映画を評価する際にプラスに働いているのかマイナスに働いているのかは、自分でもよく解らない。ただ、劣悪な環境の中で最初に観た時よりも印象が好転した面はあるだろう。
確かに、多くの人が指摘しているように、カメラの揺れが気になる。わざとハンディを構えて、首を左右に振りながら2人の会話を画面に収めたりする。寄る時にひどく揺れたりもする。縦にも横に揺れる。
もちろん、レールの上をカメラがスムーズに動いているシーンもあるから、この揺れは何かを狙った演出なのだろう。だけど、何を狙っているのかは正直言って解らなかった。
それから、こう言っては何だが、なんとなく物語の(これは原作のせいなのか、脚色によるのかは知らないが)底の浅さを感じてしまうところがある。
大抵の男にとっては女のほうから(特に榮倉奈々みたいな抜群に可愛い女の子から)誘われるのって一生の夢みたいなことである。だから、男の作者はついついそんな感じのシーンを作ってしまうのだが、彼女が経てきた体験を考えると、彼女の精神状態がちょっと一気に飛びすぎの感がある。
そして、厳しい過去を切り抜けて、遺品整理業という非常に特殊な会社の従業員同士として知り合った2人の、やっぱりいまだに少し辛い日常がメインのストーリーなのだが、それを緩和するために「いい話」系のエピソードを少し並べすぎたのではないか、とも思う。
一方で、洞口依子が演じた岡田将生の母親役については少し説明が足りないのではないかとも思った。
とは言え、主演の2人と、染谷将太や原田泰造などの共演者の見事な演技もあって、全く飽きることなく、と言うよりも、結構引きこまれながら僕は終盤までたどり着いたのである。
ところが、最後の最後が台無しだと思った。こここそがこの映画の最大の底の浅さではないだろうか?
こういうストーリーを好む人が意外に大勢いることは知っている。そういう楽しみ方をする人を、そして、そういう楽しみ方をする人たちに、まさにそういう作品を届ける人を、別に非難する気も軽蔑する気もないが、こういうのは僕はダメである。
これは、ひたすらどうやったら話が盛り上がるか、どうやったら感動的に作品を終えられるか、という観点だけから、あまりにご都合主義的にしつらえられた展開である。それこそ取ってつけたような結末である。いくらなんでもそれはないでしょう。
それから、このヘンテコリンなタイトルの意味はそれだけかい!?という感じもあった。
まあ、僕はさだまさしが嫌いだから、そういう意味では仕方がないのかもしれない。雰囲気のある映画だったのでちょっと惜しい気はしたのだが、役者たちは良かった。モントリオールで賞が獲れて良かったと思う。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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