映画『源氏物語 千年の謎』
【12月10日特記】 映画『源氏物語 千年の謎』を観てきた。
まあ、何と言うか、大仰な映画であった。時代劇ということもあって元々が芝居がかってるし、女優も男優も結構こってり化粧してるし、劇伴がしょっちゅう鳴ってるし…。
セットにもCGにもお金がかかってることがよく解る。で、春の桜、秋の紅葉と、定番の花鳥風月が、これまた大仰にインサートされる。あまりに型通りで笑けてくるぐらいだ。
まあ、そんなこたぁどうでも良いのだが、そもそも僕は紫式部の『源氏物語』という作品があまり好きではないのである。
僕らの時代だと、高校の古文の教科書で清少納言の『枕草子』と並んで出て来たのだが、僕にとって清少納言の才気煥発とか機知とか観察眼とか、そういうものはものすごく心に響いてきたが、『源氏物語』については、「なんじゃこりゃ、ただの色情狂の話じゃないか」と思った。
まあ、高校生の感性で捉えてしまったということかもしれないが。
ところが、まあ、この監督の解釈も(高校時代の)僕と似たり寄ったりということなのか、この映画で描かれるのは、情愛ではなく性愛である。ともかく出会い頭に抱きすくめて、帯を解きにかかるかと思えば、手ぇ突っ込んでくるなど、性欲直結の愛である。
観てないけど、多分『愛の流刑地』という映画も、こんなアングルでこんな描写してたんだろうな、などと思ってしまった。
で、この映画の面白いところは、紫式部の『源氏物語』をそのまま映画化したのではなく(そんなことをしたら、2時間にまとめるのも2時間持たせるのも難しいだろう)、まず紫式部(中谷美紀)や藤原道長(東山紀之)・彰子(蓮佛美沙子)父娘らの時代を描き、その劇中劇として式部が描いた『源氏物語』が登場する2重構造になっており、かつ、その2つの世界が互いに影響しあっているということだろう。
この映画には同じタイトルの原作があり、その著者である髙山由紀子が川﨑いづみと共同脚本を書いている。この構成は多分髙山によるものなのだろうと思うが、却々面白い。
物語を紡ぐ能力は東洋でも西洋でも時として魔力のように言われる。その能力を利用して、道長は我が娘・彰子を天皇に嫁がせ、見事に男の子を産ませ、自らの地位を磐石にして行く。
ところが、式部の「業」が強すぎて、それが『源氏物語』の中で六条御息所(田中麗奈)の生霊となって大暴れし、やがてそれが現実世界にも悪影響を及ぼすと予期した安倍晴明(窪塚洋介)が、生霊を退治するために物語の中に入り込んで行くのである。
実は僕はこの映画の途中で何度も何度も何度も眠りに落ちてしまったのだが、この辺りから俄に面白くなって目がさめて来た。
田中麗奈の生霊もめちゃくちゃ怖いし、窪塚の晴明がこれまた見事である。さながらマンガ『孔雀王』の世界で、唱える呪文も「のうまくさんまんだ」とか「臨兵闘者皆陣列在前」など、『孔雀王』と同じ真言である。
それから、もうひとつ印象に残っているのは、藤壺と桐壺更衣を演じた真木よう子の美しさ! 真木よう子ってこんなに綺麗な人だったのか!と思い知らされた。
この人については最近では『SP』とか『モテキ』などの印象が強いので、ついつい男っぽいサバサバした役柄ばかりを思い出すのだが、こういう古式ゆかしい日本女性を、当然日本髪と和の装束で演じる彼女がこんなに綺麗で、しかも堂に入っているとは予想もしなかった。大人しい真木よう子もステキじゃないか!
また、その対極で、葵の上に扮した多部未華子は、和服を着ると不思議に首の長さもあまり目立たず、長い日本髪にすると顔もこころなしかふっくらとして、4~5年前の彼女を思い出させる可愛さだった。
ともかく、こういう風に大胆に新解釈して再構成して見せたのはある種成功だったのではないだろうか。
源氏の生田斗真や道長の東山紀之を含めて、男優も女優も、なべて巧く嵌った良い演技だったと思う。なんだかなあ、の時代劇であるが、まいっか、の時代劇であった。
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