『考える短歌』俵万智(書評)
【11月18日特記】 世の中にテクニカルに解決できることは意外に少なくない。挨拶するとか敬語を使うなどというのもつまらない争いを避けるためのテクニックである。それを「人として当然身につけておくべきこと」とか「先輩を敬う気持ち」などと言い始めると途端にややこしくなる。
そういうことは表現という行為のなかにもある。「見たまま感じたままを表現せよ」「細部を削ぎ落して本質を描け」などと抽象的なことを言われてもどうすれば良いのか分からない。
芸術というものはとかくそんな風に伝承されてきたのだが、そんな中で表現の難しさをテクニカルに解決する術を教えようとする本書は本当に良書であると思う。
僕は『サラダ記念日』の頃からの俵万智ファンである。ただ僕自身は、ごくまれに戯れに短歌らしきものを詠んでみることもないではないが、日頃から短歌に親しんでいる訳でも何でもない。
しかし、それでもこの本が、表現という問題を如何に見事に解決しているかはよく解る。これは短歌をやっている人だけに通じるものではない。例えばポップスの作詞をしている人なんかにも大いに役立つはずだ。
著者は各講の冒頭にまず「公式」(例えば、「体言止めはひとつだけにする」等)を掲げ、そして実例を挙げて添削する。その「使用前」と「使用後」の短歌の出来栄えの違いは素人目にも明らかである。ああ、そんなことでこんなに良くなるのか、と感心せざるをえないのである。
中には逆に「この素敵なコスモスの歌二首を、ダメなほうに改作してみよう」(64ページ)などという試みもやっていて、これがこれまた見事にダメになる。この説得力は、やはり著者がどれだけしっかりと「公式」を把握しているかという証でもあるのである。
分けても、サ変動詞のない名詞の場合は「の」で繋いで良いが、サ変動詞がある名詞の場合は「する」で繋ぐべきである(114ページ)などという明快な分析に出くわすと驚きを通り越して嬉しいくらいである。
これは職業であれ趣味であれ、ともかく何かを表現しようとする人間にとっての大きなヒントになる本である。もちろんヒントだけでは何も書けないということは言うまでもないが、そのことは言わずもがなの大前提とした上で、名人・俵万智がテクニカルな部分だけをきれいに切り取って提示してくれているのである。
小気味良いほどの参考書である。いや、参考書と呼ぶには、読み物としてあまりに面白い。
ただ、この尻切れトンボみたいな終わり方は如何なものだろう。これは雑誌の連載記事ではないのである。1冊の本という体裁を取るのであれば、最悪「あとがき」という形でも良いから、何か全体のまとめめいた文章で本を締めるべきであって、そうしなければそれこそ「けり」がつかないと言うべきなのではないだろうか?
ま、不満はそこだけである。逆にどの講からでも読める辞書的なものを目指していたのかもしれない。僕にとっては辞書と言うよりむしろバイブルと言っても良いくらいなのだが。
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