映画『スマグラー おまえの未来を運べ』
【10月23日特記】 映画『スマグラー おまえの未来を運べ』を観てきた。
最初に書いておくべきだと思うのは、拷問シーンがかなり強烈だということ。目を開けて見ていられないほど痛い。んで、それが長い。だから、そういうのが苦手な人は見ないほうが良いかもしれない。
それともうひとつ。
僕にとっては石井克人と言えば一も二もなく『茶の味』である。『茶の味』を観て一発でノックアウトを食らい、以後『ナイスの森』、『山のあなた 徳市の恋』と順番に観てきた。しかし、今回の『スマグラー』はその系統ではなく、『鮫肌男と桃尻女』や『PARTY7』のほうの石井克人ではないかと思うのである。
『鮫肌男と桃尻女』については、僕は録画で見て、途中で嫌になってやめてしまった口だ。
原作は真鍋昌平の漫画。『闇金ウシジマくん』の人である。
Smuggler という単語を僕が知ったのは、グレン・フライの 1984年発売のアルバム『オールナイター』に入っていた『スマグラー・ブルース』という曲で、そのアルバムを買って初めて聴いた時に辞書を引いた。意味は「運び屋」である。
この映画に出てくる運び屋を演じているのは妻夫木聡、永瀬正敏、そして石井克人作品の常連である我修院達也の3人である。ジョー(永瀬)がリーダー格で、そこに嵌められて借金を背負ってしまったフリーターの砧(妻夫木)が加わってくる。
日当5万円の仕事というのは当然まともな仕事ではなく、運ぶのは例えば死体だったりする。で、そんなものを運んでいると、当然裏社会のいざこざに巻き込まれて面倒なことになる。今回のその面倒なこととは日本の暴力団・田沼組と中国系マフィアの抗争である。
中国系マフィアには背骨(安藤政信)と内臓(テイ龍進)という妙な名前の殺し屋コンビがいる。日本の田沼組には何本かネジの外れた狂気のヤクザ・河島(髙嶋政宏)がいる。その上には代貸の西尾(小日向文世)がいる。
ジョーに仕事を依頼してくるのはゴスロリの金貸し・山岡(松雪泰子)である。山岡はいろんな闇社会と繋がっている。そこに依頼をしてきたのは殺された田沼組長の未亡人・ちはる(満島ひかり)である。
そんな風に書くとひたすらハードボイルドな映画を想像するかもしれないが、ずっとそうではない。
例えば映画が始まったばかりのシーンで田沼組長が現れるところがある(僕がこれを演じている役者が誰なのか分かったのはなんとエンドロールだった)。皆が固唾を飲んで迎えたところ、強面の組長が急に「遅れてごめんね」とお茶目に言ったりするのである。そういうシリアスなのかコメディなのか解らないカットが挟まってくるところが、まさに石井克人らしいところである。
ただ、今回はそういうのが随分整理されていて、僕にしてみると意味不明の(しかし、そこはかとなく面白い)シーンがほとんどなくなってしまっているのが残念な気がする。こういう風にまとまりが出てくるというのは『鮫肌男と桃尻女』系のファンから見ても『茶の味』系のファンから見てもあまり面白くないのではないかな。
まあ、そういうマニアックなところを措くとすれば、要所要所で抑えの効いた、しかし全体としては激烈なバイオレンス映画である。怖い、そして面白い! めちゃくちゃ痛い。ただ、「今まであれほどやられてたのに、そんな急に立てないだろ!?」というような突っ込みどころもたくさんある。これもある種の石井克人ではないかな(笑)
50倍速カメラで撮ったスローモーションをはじめ、アクションシーンには目を瞠るところが多い。特に安藤政信が演じた背骨は、その見事なヌンチャクさばきを中心とした擬斗もさることながら、ストイックなプロフェッショナルの殺し屋という役どころを強烈に演じている。
役者はみんな良い。主人公の妻夫木も、ある意味自分の持ち味である弱い男をケレン味なく演じている。それが後半ケレン味たっぷりの髙嶋との対決となるところが面白い。
これはある意味でヘタレ男の砧が成長してヘタレの悪循環から抜け出すドラマであるが、そのために支払った代償があまりに、そして文字通り、痛々しすぎる。
永瀬も満島も松雪もめちゃくちゃカッコいい。そして我修院がいつも通りに期待通りに我修院である。
安藤政信と阿部力はともに中国人の役で、テイ龍進はともかくとして、よくまあこんな長い中国語の台詞を憶えたものだと思っていたら、2人とも最近は中国や台湾を活躍の場としているらしい。
それから驚いたのは髙嶋政宏。この兄弟はどうなって行くのだろう? こないだ『探偵はBARにいる』ですぐにキレて壊れるヤクザの役を弟の政伸がやっていたと思ったら、今度は兄の政宏が同じような、いやもっと異常な拷問魔のヤクザ役である。いやもう、やれやれという感じ。
さて、僕はこの映画から何か教訓を感じ取ったりしなかったが、多分そういう人もいるのだろう。僕自身はもう少しエンタテインメント的な受け止めをした。しかし、エンタテインメントにしては後味が良くなかったかもしれない。
あるいは僕よりももっとシリアスに捉えてしまった場合、却って教訓もなく、カタルシスを得られることもなく、あまりに殺伐としたものを感じるだけで終わった人もいるのではないかと思う。
評価の割れる作品ではないかな。
それにしても『茶の味』って、あくまで石井克人にとっては鬼子的な作品だったんだろうか?
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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