『ばらばら死体の夜』桜庭一樹(書評)
【10月13日特記】 読み終わって最初に思ったのは、巧いな、ということだった。
前から巧かったのかそれとも巧くなったのかは判らない。ただ、少なくとも僕が1冊だけ読んだ『赤朽葉家の伝説』ではこんな巧さは感じられなかったように思う。あれだけ長いスパンの物語になると、どうしても筆が先走りして描写が荒っぽくなっていた印象が強い。
今回は、言わば何代にも亘る壮大なサーガを描きたいという野心からから解き放たれて、ほぼ人間の一生に相当するくらいの長さに絞り切れたことによって、物語のほうからこの作家にとって一番得意な領域に入ってきたような気がする。
さて、この小説では冒頭で殺人が描かれる。しかし、最初に殺人があって最後に犯人が捕まるという小説ではない。いや、実際小説の中で犯人が捕まるかどうかを言っているのではない。そういう表現軸では描かれていないということを言っているのである。
殺人犯がどこまでも逃げ切るというクライム・ノベルでもない(これも逃げ切るかどうかを云々しているのではない)。もっとねじれた、いや、まっすぐだけれど斜めに傾いた座標軸に捉えられた物語であるような気がする。その傾きこそがこの小説の命なのではないだろうか。
ただ、どこにも仕掛けがないかと言えばそんなことはない。多分少なからぬ人が僕と同じように騙されたのではないかと思うのだが、Prologue に叙述上のトリックがあって、途中まで誤った思い込みを持たされたまま読み進んでしまうのである。
章ごとに主人公と話者が替わって行くのだが、その辺りにキーがある。さらにそこに、ひとつふたつ、かなり込み入った設定を加えて、作家は物語をうねらせて行く。
別に殺人を美化するわけでも肯定するわけでもない。かと言って、殺人を異常なものとは捉えていない。殺人を犯してしまう人間という存在を、いや、殺すほうも殺されるほうも、ひたすら転げ落ちて行く人たちとどこかで踏みとどまって這い上がってくる人たちの不思議を、ありのまま、しっかりと捉えて描いているように思う。
ある意味怖い話である。Epilogue にある1シーンが特に怖い。なのに読後感がこれだけ良いのはまれに見る小説ではないか。
帯には「改正貸金業法」云々との記述があるが、これはそういうことを描いた小説ではない。これは人間を描いた、深い味わいのある、怖くて爽やかな不思議な物語なのである。
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