映画『ツレがうつになりまして。』
【10月10日特記】 映画『ツレがうつになりまして。』を観てきた。
佐々部清という監督は僕が今までどうしても観る気になれなかった監督である。
作風が気に入らないというのではない。そもそも1本も観たことがないのだから、中味を貶すことなどできない。ただ、その素材を選んでくる感覚とでも言うべきものに、僕はどうにもこうにも馴染めなかったのである。
おうおう、そんな話を映画化すんのかい、といった感じだった。それに、彼が褒められる時の褒められ方もどこか感心しない気がした。
そんなことが何度か続くと、たまに予告編を見て興味を引かれても、なんだ、この監督なら止めよう、といことになる。
僕にとって佐々部清という人はずっとそういう存在だった。(宮崎あおい)
ところが、この映画は初めて、たとえ佐々部清であっても観ようという気を起こさせてくれた。僕が宮﨑あおいのファンだということもあるが、予告編がとても良かったからだ。
しかし、いざ観ようと決めた矢先に、今度は twitter で嫌な粒を読んでしまった。その人曰く、
原作は鬱病という難しい問題を扱いながら、あくまで全体をコメディ・タッチで貫いている。それがこの映画では、コメディの要素を全部取り去ってしまっている。なんというクソ真面目な監督か!
僕は俄かに嫌な予感がしてきた(まあ、「クソ」は僕が勝手に付け足した表現だが)。
しかし別の人の書いたものを読むと、さらっと「コメディ」と称してある。これはどういうことか?
つまり、こうだろう。原作ではきっともっともっとコメディなのだ。それを映画では影も形もないくらいに削ぎ落としてしまっているのである。
僕はますます嫌な予感がしてきた。
シリアスな原作を映画化する際にコミカルな要素を入れ込むというのなら理解できる。しかし、その逆をやる映画監督となると、これはもう何を考えているのか理解不能である。で、佐々部清ともなれば如何にもそんなことをしそうに思えてくるのである(こういうのを偏見と呼ぶのだが)。
で、よほど観るのを止めようかと思いながらも、結局のところは宮﨑あおい見たさに観に行ったのであるが、結論から言うと杞憂に終わった。
大変長い前置きになったが、これはとても良い映画だった。綺麗なラブ・ストーリーだった。ケレン味の少ない、素直でストレートな作品だった。
主人公の売れない漫画家・晴子(宮﨑あおい)のツレ(堺雅人)がうつになる。ひと言でまとめてしまうと、これはその体験記である。
彼女は自分の夫のことをツレと言う。他人に話す時だけではなく、夫に対して「ツレ」と呼びかけるのである。
几帳面な夫とテキトーな妻との良いコンビである。常に前向きな夫とマイナス思考の固まりである妻との対照的な夫婦である。
こういう組合せでは得てして夫のほうがうつになる。そんなもんだ。そして、そういう組合せがおもしろい。
この夫婦の家には、他にペットのイグアナがいる。この小動物の映画的な使い方が却々巧い。
大仰な台詞はどこにもないが、青島武の脚本はとても良く書けている。原作がどの程度であったのかは知らないか、コメディの要素は非常に程よく配合されている。
やたらと宮﨑あおいの表情のアップが多く(これはファンにとっては単純に嬉しい)、これ見よがしのカットもないが、浜田毅のカメラも良い。
これはうつのドキュメンタリー・ドラマであると言うよりも、夫婦の愛の物語である。
みんな観れば良いと思う。あったかい気持ちになれると思う。
宮﨑あおいはやはり素晴らしい女優である。そして、どうしようもなく可愛い。表情だけでなく、今回は四肢を使いこなした演技であった。堺雅人の、彼らしい、やや過剰気味の演技も、この作品には非常にマッチしていた。
パンフには脚本に書きこまれた演出ではなく“現場で生まれたハーモニー”とあったが、ハルさんがツレに飛びついて抱きつくシーン、二人が並んで寝転がってゴロゴロして最後に重なるシーンなど、体の動きが面白いシーンがいくつかあった。
映画『ぐるりのこと。』でリリー・フランキーと木村多江がお寺の板の間に寝っ転がって足を蹴り合うシーンを思い出した。
そう言えばあの映画でも、セックスする日を事前に決めておくような几帳面な妻が鬱病になった。そして、あの映画も我々に一条の光明を示してくれた。この映画はあれよりはずっと明るく軽く、しかし、同じように温かい何かを投げかけてくれる。
佐々部清監督の特徴というのは、結局のところよく分からなかったが、またいつか彼の作品を見るかもしれない。
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