煙草と私
【9月25日更新】 煙草をやめてもう4~5年になる。ある日突然思い立って、あまりにも何の苦もなくやめられたからそう思うのかもしれないが、今振り返ってみて、自分にとって煙草って何だったんだろうと思う。
間違いなく言えることは、それは格好をつけるためのものだったということだ。
典型的な優等生ではなかったにしても、範疇として私はやっぱり優等生に属していたようで、結局優等生的なイメージがついて回ったようだ。いや、本当にそう思われていたかどうかは定かではないが、そう思われることを私が極度に嫌っていたのは確かだ。
そのイメージを少し崩すためにも、煙草を吸うということが必要だった。私が煙草を吸い始めたとき、はっきり意識はしていなかったにしても、そういう要素が確かにあったと思う。
もちろん、言うまでもないが、煙草を吸ったらカッコ良く見えるかなという思いもあった。これは割合はっきりあった。
成人してからは、酒の飲めない私からしてみたら、煙草くらいは吸わないと格好がつかないという切実な事情が出てきた。
酒席を乗り切るためには煙草が必要だったのである。下戸でないと実感はないだろうが、酒の席で何もしていないと「飲め」と言われたり酒を注がれたりすることが非常に多い。それが、とりあえず煙草を吸っていると、そういう展開になる頻度が目に見えて減るのである。
私が若かった頃は、酒は仕事をする上での必修科目だった。飲めようが飲めまいが、それは必須のアイテムだった。
だから、いつしか酒席に出る必要がなくなったら煙草をやめようと思っていた。それは割合はっきり思っていた。イメージとしてはそれは定年後だった。
なのにある日、ほんの思いつきみたいに煙草をやめてしまった。そして、簡単にやめられた。なんだ、私にとっての煙草って、結局その程度のものだったのか、と我ながら思う。
今の世の中、「俺の酒が飲めんのか」という時代ではなくなったということもある。また、自分が年を取ってきて、若い頃のように、カッコ良く見せようとしてジタバタすることがなくなってきたということもある。
まあ、なんであれ、煙草を吸わなくなって結構な月日が流れた。その程度の存在だったのかという思いとは裏腹に、なんであれ煙草に対しては感謝の気持ちも持っている。私の人生の中では、実は意外に小さくない要素だったのではないかという思いも拭えないのである。
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