映画『神様のカルテ』
【9月9日特記】 映画『神様のカルテ』を観てきた。宮﨑あおいでなければまず見なかった映画だ──お涙頂戴の難病ものだと思っていたから。その手の映画は苦手なのだ。
ただ宮﨑あおいを見に行った。映画の内容にはほとんど期待せずに。(宮崎あおい)
ところが、見始めると割と良い。これは難病ものではなく、医療ものなのだと気づく。そして、見終わったときには、医療ものという括りさえ小さすぎたと思う。微妙に「社会派ドラマ」という枠に収まりきっていないのである。そこが魅力だと思う。
もちろん人が死なない訳ではない。加賀まりこが扮する末期癌の患者が出てくる。
映画に出てくる末期癌患者は死ぬしかないのである。突如として全快しようものなら、それは白々しい茶番劇になる。
かと言って、さあ泣けとばかりに作ってしまうとあざとい安物に堕ちてしまう。
この映画は末期癌を扱っていながら、そのいずれの罠にも嵌まっていない。人が死ぬのに随分後口の良いドラマで、見事だと思った。
主人公は「わたし」という一人称を使い何だか浮き世離れしたことを言う救急病院の医者・一止(いちと)(櫻井翔)。そして、夫に対してですます調で話す、写真家の妻・榛名(宮﨑あおい)。
その2人と一緒に古い旅館だった建物に住んでいる画家らしき「男爵」(原田泰造)と、学者の卵らしき「学士」(岡田義徳)。
──この4人が、見た目は共同生活を送っているにもかかわらず、揃いも揃って生活感がない。その変な4人の生活と行く末が、病院外のもうひとつのドラマとして描かれる。それが見ていて心地よいのが不思議である。
映画の最初のほうで一止に漱石の『草枕』を引用させる。そして終盤で男爵が語る仏師の話は同じく漱石の『夢十夜』に出てくる逸話である。漱石の愛読者である一止が言うのではなく、その一止が悩みに沈み込んでいるときに、男爵が一止に言ってきかせるのである。うまい脚本だと思った。
脚本は後藤法子。名前に記憶はない。主にTVドラマの脚本家で、映画としては『ラヴァーズ・ホーム』と『ホームレス中学生』(古厩智之監督と共同)を書いている。
カメラも工夫を凝らして印象的な画を撮っている。
繰り返して出てくる、帰宅する一止を旅館の物干し台から俯瞰で捉えたショット。そして、要所要所で出てくる真上からのショットのインパクトと面白さ。相手の視線の動きをするカメラ。喋っていないほうの人物のアップや背後からのショットで喋っている口を映さないのに非常に多くを語っている構図。
撮影は山田康介。この人は初めての撮影監督らしい。木村大作の弟子。
原作ものなので、どこまでが原作の功績でどこからが映画化の力量なのかは分からないけれど、味がしつこすぎて食えないこともなく、かと言って薄味過ぎて物足りないこともなく、非常に塩加減のうまく行った作品になった。
櫻井翔は却々味のある役者である。僕は『ハチミツとクローバー』以来だが、あの時とは全く感じの違う役柄でありながら、不思議に同じように味がある。今回は過剰なほど沈み込んだ芝居をやらされていたが、これが本来「泣き虫ドクトル」である彼が泣くシーンとの良いコントラストになっていた。
そして、同じ救急病院の上司・貫田(通称「古ダヌキ」)先生役の柄本明のなんと巧いこと!
いや、柄本だけではない、前述の加賀まりこ、岡田義徳、原田泰造、同僚の医師役の要潤、看護師の吉瀬美智子と池脇千鶴、大学病院の教授役の西岡徳馬──みんながみんな見事な味を出している。
そして、もう細かいことは書かないが、宮﨑あおいファンにとっても見せ場はたっぷりある。
深川栄洋監督は、前作『洋菓子店コアンドル』を観て、決して悪くはないけど別にそれほどのこともないと思ったのだが、これは本当に良く撮れていたと思う。
どの道僕が好きなタイプの映画ではないが、良い映画だなあと思った。重ねて書くけど、とても後口の良い作品だと思った。
【追記訂正】 「『ハチミツとクローバー』以来」と書いたが、よく調べてみたら『ヤッターマン』を観てた。こういう映画はどうしても忘れがちになる(笑)
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