知人の著作に対面して
【8月27日特記】 9年前からオンライン書店ビーケーワンに書評を投稿している。掲載された書評も300を超えたのだが、ここに来て知り合いの著作の書評を書く機会が増えてきた。知人がどんどん本を出版するようになってきたのか、それとも本を出すような人と知り合う機会が増えてきたのか…。
知り合う前から本を書いていた人はもっとたくさんいるが、僕と知り合ってから本を出したという人だけでも、今思いつくだけで4~5人いる。もっと真剣に考えればもっとたくさん思い出すかもしれない。
で、容易に想像がつくことだが、知人の出版物の評というのは却々に書きにくいものである。
まず、本人が読む可能性があるから貶しにくい。同じように褒めすぎるのも気が引けるが、こちらは本心からそう思うのであれば、別に後ろめたい気持ちもなく素直に書ける。ただ、貶すとなるとこれは勇気が要るし、逡巡してしまう。
「これはちょっと褒めようがないないな」と思った時には、知らん顔して書評を書かずにおくに限る。というか、それ以外に手はない気がする。
逆に、著者ではなく書評の読者を念頭に置くと、今度は少し褒めにくい。何を書いても知人だから褒めているだけだと思われるのではないかという気がする。
知人だと書かなければ良いではないか、と思われるかもしれないが、知人だと書かずに褒めていたものが後で知人だと発覚した場合を想定すると、これまた後味が悪いだろうと思う。だから僕は、大抵冒頭に知人の本であることを明記してから始める。
知人の本だから貶し難いのだろうと気を回してくれる読者もあるかもしれないが、まあ、しかし、僕の書く書評はどこかしら褒めている。少なくとも全面否定はしない。批判一辺倒では終わらない。──そういうことを普段から意識して書いているつもりである。
ただ、全般に僕の文章は、僕が思っているよりも遥かにきつく厳しい印象を与えるらしい。
それを思うと、僕が知人の本を評したときにも、そのテーストは同じく若干辛口なのか、それとも少し筆が鈍った感じが出ているのか、自分では解らない(もちろん自分では全部ある程度褒めているつもりなのだが)。
その辺は一体どうなのだろう? 誰かに訊いてみたい気もするが、そんなことを意識し始めると益々知人の書評は書き辛いものになって行くのだろう。
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