映画『うさぎドロップ』
【8月28日特記】 映画『うさぎドロップ』を観てきた。目当ては松山ケンイチでも、今をときめく天才子役・芦田愛菜でもない。SABU監督である。
と言っても僕がSABU監督のファンだというのではない。SABU監督の映画は2002年の『DRIVE』1本しか観ていない。別に貶さずにはおられないような映画ではなかったが、さりとて見終わって皆に勧めたくなるほどの映画でもなかった。興行的にも失敗だったし、あまり高い評価ももらえなかった作品だ(キネ旬では同年第51位と、こちらのほうは意外に高評価であるが…)。
それっきり名前を聞かなかったので、僕はてっきり映画界から消えたのだと思っていた。いや、正確に言うと、それ以来SABUの名前は完全に僕の記憶から抹消されていた。実は前作『蟹工船』の時に「まだ監督してたのか!」と驚いたのだが、その記憶さえも見事に消え去っていた。後から調べてみると、この映画と『DRIVE』の間にSABUは5本の映画を撮っているのだが、そんなに撮っていたとは夢にも思わなかった。
──つまり、僕にとってはその程度の監督でしかなかったということだ。
ところが今回の『うさぎドロップ』に監督としてクレジットされているのを見つけて、そして、予告編を見る限りなんだか良さそうなのである。監督には大変失礼な話なのだが、僕は非常に意外に思った。こういうジャンルの映画も撮る人だったのか、という意外性もあった。ともかく観てみる気になった。そして、こんなに巧い監督だったのかと改めて驚いた。
- 冒頭、電信柱の並ぶ田舎道をダイキチ(松山ケンイチ)とりん(芦田愛菜)が手を繋いで歩くシーン。
- ダイキチが祖父の葬儀のために里帰りし、実家の玄関から家に入ろうとして、外にいるりんを見つけて横目で見るシーン。
- りんが死んだ祖父(りんにとっては実父)の遺体にリンドウの花束を握らせようとして失敗し、ポロンと零れるシーン。
- そして葬儀の後の酒席で、親戚のガキがうるさく走りまわる中で大人たちが身勝手な押しつけあいをするシーン。
──いずれも非常に写実的で、かつ印象的である。
SABUと林民夫による共同脚本も非常によく書けている。
- ダイキチの妹のカズミ(桐谷美玲)が、自分から電話をしてきながらいつもブツッと切ってしまう、不思議ではあるが如何にもという描き方。
- ダイキチと上司との会話、そしてダイキチと会社の同僚の後藤(池脇千鶴)との短いやり取りで、日本の労働環境の問題をさらりとまとめてしまう手際の良さ。
- ほんのちょい役で登場する児童相談所職員(高畑淳子)の強烈な台詞の重みとリアリティ。
この映画は所謂イクメンの話なのだが、ありきたりに男が実の子の育児をする話ではなく、死んだ祖父の6歳になる隠し子を、他に引き取り手がないという理由で引き取って同居を始めるという、ちょっと荒唐無稽な設定である。
そこでは、この手の映画にありがちな、子育てについては全く知識も経験もない野郎が次々と飛んでもない失敗をする具体的なさまを面白おかしく描いたりはしていない。その代わりにダイキチの疲弊と困惑と、自分でもなんだか分からない愛情が描かれている。
子供が行方不明になると会社の同僚全員が仕事をほっぽり出して探してくれるなど、ちょっと出来すぎに良い話もある。でも、不思議とそれがすんなり受け入れられる。これは脚本の力だと思う。
役者陣も素晴らしい。主演の松山・芦田もさることながら、ダイキチの両親役の中村梅雀と風吹ジュンの何とも言えずほっとさせてくれる感じ。いくらなんでもそれはないだろうという設定なのに、見ていると如何にもいそうな気がしてくる、りんの実母を演じたキタキマユの摩訶不思議。
草が揺れる田舎道、駅前の歩道橋、どんどん装飾が変わって行くダイキチの住居など、よく考えられたロケとセットを背景に、切り取られた画もとても印象的であった。
まあ、僕個人としては、あの一連のダンスシーンは、まあ面白いと言えば面白いが、別に要らなかったのではないかとは思うが…。
いずれにしてもとても良い映画だと思った。少なくとももうこの監督の存在を忘れ去ったりすることはないと思う。次回作も楽しみである。
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