『東京バンドワゴン』小路幸也(書評)
【7月13日特記】 そもそもは青山真治監督の映画『東京公園』を観たのがきっかけだった。好きな監督だし、この作品も見事な出来であった。
そして、僕はその原作者である小路幸也という小説家を全く知らなかったのだが、そのパンフに、「そもそも小説『東京公園』は担当編集者の『小路さんの<何も起こらない物語>が読みたい』というリクエストから始まりました」と書いてあったのに強く惹かれたのである。
いや、別に何も起こらない話が好きなのではない(嫌いではないが)。ただ、何も起こらないのに面白いということは、書いている作家が突出した文章力、表現力の持ち主であるという証明である。映画がこれだけ面白いのだから、小説もきっと面白いのだろう。
ということは小路幸也という作家は飛び抜けて文章の巧い作家であるはずだ。ならば、これを読まない手はない──ということで本屋に走ったのだが、あいにく『東京公園』は置いておらず、目に入ったのが『東京バンドワゴン』であった。
ああ、この本なら聞いたことがある。結構話題になった本だ──ということでこれを買い求めて読んだのだが、残念ながら、これは僕が思ったような本ではなかった。
これは何も起こらない小説ではないのである。ものすごいことは起こらないが、小さなことは次々に起こる。
そして、その小さなことが起こる舞台として設定されているのは、腹違いも含めていろんな血縁や義理の関係が入り乱れて、老若男女大家族が暮らす古本屋兼カフェという、よくよく考えたらあまりありそうもない暮らし(おまけに語り部であるサチは、確かにある意味いまだに家族の一員ではあるが、なんと2年前にすでに死んでいる)を凡そ何ごともないように設定したものである。
つまり、これは何も起こらないことを、観察眼と筆力だけで描き上げて行くという、僕が期待したような小説ではなく、むしろ1970年代のテレビのホームドラマのような、少し嘘っぽさを隠すこともなく、人物造形にもやや作り物感があり、しかし、ちょっと小粋なプロットで畳み掛けてくる、楽しい、面白い物語なのである。
ま、これはこれで良い。このあっけらかんとした、悪びれない感じが魅力なのである。
しかし、そうなってくるとますます気になるのが『東京公園』である。こんなにプロットを売りにした作家が、果たしてどんな風に<何も起こらない物語>を書いたのか。この文体を見ると、あの映画の雰囲気とは随分違うような気がする。これはやっぱり読まざるをえないかなあ。
──と、<何も起こらない物語>が想像できないくらい、細かく小さくいろんなことを起こして読者を楽しませてくれる、サービス精神旺盛な作家であり、作品であった。
もちろん、このサービスは素直に受けて楽しめば良いのである。
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