『絶滅寸前季語辞典』夏井いつき(書評)
【7月5日特記】 本屋で衝動買いした本。
いや、僕に俳句の心得なんてない。ただ、嫌いではないのも事実。自己流で時々は一句ひねってみたりすることもないではない。しかし、俳句にのめりこむようなことは一度もなかったし、夏井いつきという人が何者なのかも知らなかった。そして、この本が10年前に出た本の文庫化であることも全く知らなかった。
ただ、生来の「言葉好き」に対して、何か訴えかけてくる、いや、微笑みかけてくるものがあった。本屋の書棚から「ねえ、買って」と秋波を送られているような気がした。
で、「絶滅寸前季語」というタイトルに嘘偽りはなく、まあ、ほんとにこれでもかというくらい知らない言葉が出てくる。二十四節気とか七十二候とかに入っているのであれば、「何となく知っている」「意味は分からんが聞いたことある」なんてこともあるが、ところがどっこい、俳句の季語というものはそのような狭い領域に収まっているような矮小なものではないということがすぐに分かる。
「亀鳴く」とか「嫁が君」なんてのは序の口で(しかし、この「かめなく」や「よめがきみ」が一発変換されてしまうところに季語としての風格を感じる)、「童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日」などという、おいおい季語がそんなに長くてどうする?おまけになんでそれが日本の短詩の季語なのか解らん?みたいなものも結構ある。
加えて句例として引かれているのが一茶に蕪村に子規などという大家であるかと思えば、どこにも句例がなかったので絶滅寸前季語保存委員会のメンバーであったりするわけだが、著者の夏井氏を含むこのメンバーの発想がまた非常に多彩で、その俳号がまた「おののき小町」とか「水原中央紙」(他に水原地方紙なんて人もいた)などと、そんなにふざけててええのかいな?と、逆に不安にさせられるくらいである。
そして、季語を説明して、そこから空想をふくらませて解説し、最後に句例を紹介してくれている夏井氏の文章が、これまた余裕たっぷりに遊んでいる。これこそ軽妙洒脱の粋に達した名人芸である。
なんだかこの夏井いつきという人がいとおしく思えてきて、急に会いたくなってきた。松山まで訪ねて行こうかと思っているうちに一気に一冊を読みきってしまい、ふと表紙の裏を見ると、お決まりの著者近影としてフツーのおばちゃんっぽい夏井氏の写真が掲載されており、なんと僕と同い年であった。
うーん、30年前に出会っていれば恋に落ちていたかもしれない。
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