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Sunday, June 19, 2011

映画『プリンセス・トヨトミ』

【6月19日特記】 映画『プリンセス・トヨトミ』を観てきた。

興行的にはそこそこの成績を収めているようだが、まあ、褒める人のいない映画である。自分の身の周りの知人・友人、ブログ、twitter などでいろいろ見聞きしたが、褒めていたのはわずかにひとりだけである。

そして、褒めない人たちに不思議な傾向があって、それはボロカスにこき下ろす人はあまりおらず、大抵の人が「残念な作品」「残念な出来」と評することである。

僕の場合は映画を観ようと思っていた矢先(と言っても公開の少し前だが)に、原作を先に読んだほうが良いと強く勧めてくれる人がいて、慌てて買って読んだのである。だから、ここで原作だけ読んで終わりにするわけには行かない。なんとなく皆の不評が気になって腰が引ける面もあったが、自分を鼓舞して劇場に足を運んだ。

ところが…、いざ観てみると、ちっとも悪く思わなかったのである。困ったー(笑)

事前に聞いていた通り、原作の2人の会計検査官・鳥居とゲンズブール旭の役を入れ替えてあった。

短躯肥満でおっちょこちょいで、それでも何故か見事に不正を見破るミラクル中年男・鳥居をここでは女性という設定にして、それを綾瀬はるかが演じている。さすがに新しいインクを嗅ぐと便意を催すという“特技”までは引き継いでいなかったが、彼女の持つ“天然”のイメージを活かした配役だと思った。

一方、フランスと日本のハーフでエリート官僚であるゲンズブール旭を、名前もそのままで女から男に転換して、ここでは岡田将生にやらせている。これも映画化のための作り替えとしては却々功を奏しているのではないかと思った。

設定やストーリーは、それ以外のところでもちょこちょここまめに触っている。それは長編小説を映画化する際には避けて通れないことで、そのままでは2時間の映画にまとめることは不可能になる。活字メディアと映像メディアの特性の違いも考慮しなければならない。

そういう意味では相沢友子のこの脚本を、僕は大変手際が良いと感じた。

OJO、あるいは大阪国大統領の真田(中井貴一)が何故会計検査官の松平(堤真一)を秘密の通路に案内したのか、最後の大阪府庁玄関前での2人の対決はどのようにして収束するのか──その辺りの展開の仕方を見ると、相沢脚本のほうが万城目学の原作よりも遥かにスムーズで納得が行った。少なくとも僕にはそう感じられた。

府庁前での対決については、万城目の原作のほうが少し混乱を引きずったままであったのに対して、すっきりと整理された感がある。進行のリアリズムとしてはこっちのほうがうまく流れていると思う。

さらに原作では転勤などで一時的に大阪に住んでいるだけの者は蚊帳の外であることを書いていたが、映画ではそんな細かいリアリズムをバッサリと切ってしまって、そのために街中が完全にもぬけの殻になるという、映画ならではの小気味良さが出ていて良かったと思う。

却ってこっちのほうが、「大阪やったら、ありそうやんw」という気がする。

テーマについても、父と子の絆というベタな線に思い切って集約したことが映画を見やすくしたのではないかと思う。

ただし、少し尻が重い。そのため映画も終盤になってから長く感じられる。

特に終盤病院で松平が旭を前にして語るところは如何にもくどい。あのシーンごと不要ではないかという気がした。あそこまでくどく語るのは観客を信用していない証拠である。余計なお節介である。もっと不親切に放置しておいてほしいと思った。それが余韻を生むのだから。

鈴木雅之という監督は僕にとっては「よく知らない人」でしかないのだが、いかにも共同テレビ的な感じのする人である。

たこ焼きを落として地面を見つめる鳥居のシーンと、秘密の地下通路に案内されて天井を見上げる松平のシーンを直結したところ(ちょうど2人は真上と真下の位置にいたのかもしれない)とか、大阪国民が立ち上がって無人になった商店街の魚屋の水槽からうなぎが跳ね出す描写とか、そういうセンスは僕は大好きである。

茶子が大輔のスカートをめくるシーンも原作にはなかったもので、こういうお茶目ないたずら心には大変好感を覚える。

5000人のエキストラを動員したことによって映画のスペクタクル感もちゃーんと出ているし、中井貴一も堤真一も、一筋縄では行かない好演である。岡田将生がパンフのインタビューで、自分の役と堤真一の役にキャラがかぶっている部分があるのではないかと心配していたのに、「一番驚いたのは、堤さんが松平をダラっとした雰囲気で演じてらっしゃったこと」と言っているのが印象深い。

オーディションで選ばれた茶子役の沢木ルカも、目に力のある印象的な少女である。滑舌に難があるのが非常に残念だったが…。

あと、本編中のあちこちに似而非関西弁が溢れているのは、大阪人としてはとてもとても気になった。

でも、割合良い映画だったのではないかな。僕は気に入った。

この映画はキネ旬ベストテンに選ばれることも日本アカデミーで賞をもらうこともないとは思うが、逆にいずれの選考においても0点では終わらないのではないかなという気がする。選ばれる映画が両極端の2つの賞で、ともに小さな得点が入りそうな気がするのである。

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Comments

そーでしたかー。たぶん、それは原作を先に読まれたから悪くなかった、で済んだのでは?……なんて(笑)

感想を読んで気づいたのは、なるほど、私みたいな関東の生れ育ちには、あまりに大阪しすぎてるから入りこめなかったのかもなぁ、と。突飛な感じを無理やりくどい台詞で長々と言いくるめられている気になってきて「んん……わかったから、いいよ」となって「残念だなぁ、面白い話なのに」と。
大阪の方が興行成績がいいというのも頷けます。

Posted by: yully | Monday, June 20, 2011 at 11:39

> yully さん
いやー、まさにそうかも。先に原作を読んでいたからこそ、加工の過程がよく見えて、だからこそ努力の跡を評価できた気がします。
先に原作を読めと言ってくれてどうもありがとう。

Posted by: yama_eigh | Monday, June 20, 2011 at 12:43

多くの人が言ってるそうですが、私もやっぱり「残念」でした。
エセ大阪弁とか説明過多とかを気にしないわけにはいかなくて。

おそらくこれは、東京の作り手が大阪でロケーションをした映画、に過ぎないのでしょう。
だから無理やり「大阪らしい」場所や情景を多用する。
ニューオータニの部屋から様子を見に飛び出して、
新世界や道頓堀まで胸をゆらせて走りきるのはたいへんでしょ。

原作はタイガースも吉本も出さずに「大阪の本質」めいたものが描かれていたのにね。
大阪の女(の偉大さ)についてもひとことで済ませるかなあ。

大阪国の存在、むべなるかなです。

Posted by: tapioka | Monday, July 04, 2011 at 14:42

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