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Wednesday, June 15, 2011

痛快

【6月15日更新】 人やものを批評する際、痛快というのは存外狙うには難しいものである。

言ったり書いたりしている本人が痛快だと思っているだけであれば、それは往々にして雑言や暴言でしかない。

まず、批判される対象はある種「権威」でなければならない。それは外せない条件だ。弱者や地位が下の者、あるいは自分と同じレベルで争っている者を責めることで、読者あるいは観客に「痛快」に思ってもらおうと考えてはいけない。

そして、その上で、批判された当の権威に「くそっ、今回はやられた」と思わせるくらいでなければ痛快の域には達しない。そこまで見えるから、あるいは想像できるからこそ、人は痛快に思ってくれるのである。

他人様に痛快がってもらうってそれくらい大変なことなのである。自分独りで痛快がってはいけない。それは大抵「快」が落ちて「痛」だけになってしまう。

「なんとかかんとかメッタ切り」みたいなタイトルを見るたびにそのことを思うのである。

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