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Wednesday, May 25, 2011

泡と上澄みと淀み

【5月25日特記】 前にも書いたような気がするが、ここ1~2年、昔はよく相互にトラックバックしていた映画関連のブログの更新がされなくなったり完全に締められたりする例が増えた。

一昨日の記事に書いた某氏のブログもそうである。僕はかなり厳選してトラックバックさせてもらうほうなので、そういう相手が順番に少なくなって行くのはとても淋しい気がする。

みんなそれぞれに事情や理由やきっかけがあってのことなのだろうが、全体をひと括りにして眺めてしまうと、何であれそれはブログも下火になって来たということに他ならない。

うーん、やっぱり飽きちゃうってのが一番多いんだろうか? それとも書くことが負担になってくるんだろうか?

などと考えていたら、今日、アメリカでは早くも twitter の利用者数が右肩下がりになってきたという記事を読んだ。ここでの分析は、その多くが facebook に移ったのだろうというものだった。

うーん、飽きっぽいのは日本人だけはないのか。

僕はホームページもブログも twitter も facebook も、どれもそれなりに楽しんでいるし、どれにも飽きていない。強いて言えば、単なる道具として一番淡々と使っているのが facebook で、他の3つにはそれぞれにメディアとしての独自性を感じるし、それぞれの特徴に応じた使い分けが充分に成り立つと思っている。

だから、やめてしまう人の気持はよく解らない。まあ、しかし、ブームが終息するというのは言わば水面付近の泡が飛ばされてきれいになるようなもんだ、などという言い方もできるが、しかし、泡があってこそのビールとも言える(なんで急にビールに例えるのか自分でもさっぱり解らんがw)。

いずれにしても、泡や上澄みと底の淀んだ液体が争っても仕方がない。自分はもう少し底に沈んでいることにしよう。僕はそういう世界が好きだ。

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