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Tuesday, May 03, 2011

電車の日除けと平等性の問題

【5月3日特記】 電車の窓の日除けを上げたり下ろしたりする権利は誰にあるのだろう? もう何年も前から、いや、何十年も前からずっと悩んでいるのである。

僕は日当たりの良いのが好きで、特に冬場は好んで南側に座る。阪急神戸線では進行方向に向かって右側である。暑いとも眩しいとも思わない。ところが、後から乗り込んできた人が僕の隣に座るや否や、いきなり日除けを下ろしてしまうというようなことがある。

(阪急電車の場合は日除けを下から持ち上げて留め金に固定すると日光を遮る構造になっているので表現がややこしいのだが、この文章では便宜的に「日除けを下ろす」という表現で日光を遮断することを意味することにする)

せっかく太陽を受けて気持よかったのに。せっかく後頭部から背中にかけてぽかぽかと暖まっていたかったのに。

これからの季節はそんなことはあまりない。けれど、冬場は結構切実な悩みであり、かつ、結構頻繁に起こる事例なのである。

後から乗り込んできた客に100%の選択権があるのだろうか? 確かに暗黙のうちにそういう了解が成立しているのかもしれない。

それが証拠に、「なんだ? この野郎。俺がさっきわざわざ日除けを上げたのに、いきなり下ろしやがって。お前のほうが後から乗ってきたんだろうが。ふざけるな!」などと言ってもめているのを見たことないものなあ。

多分そんなことを言うと気が悪いので、みんな辛抱して黙っているのだろう。

しかし、ちょっと待て。自分が後から乗り込んで行ったときのことを考えてみよう。

僕が乗ったときに日除けが下りていて、しかも隣に人が座っている場合、僕は日除けを上げたことがない。何故ならば、僕の隣に座っている人は日除けなんてどっちでも良いのかもしれないが、ひょっとすると僕が乗り込む前にわざわざ日除けを下ろしたのかもしれない。──それを考えると僕はすくんでしまうのである。

必ずしも後乗り優先ではないとなると、そこでは本来あるべき平等性が損なわれていると結論しなければならない。それは悲しいことではないか?

そうではなくて、ひょっとして日除けを下ろす人が優先なのだろうか? ならばそれはそれでひとつの平等なルールである。しかし、どう考えてもそんなことはない。後から乗ってきても平気で日除けを上げる人もいる。

結局何も考えていない奴が勝つんだろうか?

もし、そうならそれで構わない。僕は勝つことよりも考えることを潔く選ぶだろう。

しかし、もしそうではなくて、何か別のルールがあるとか、作法が決まっているとかいうのであれば悔いが残る。もしもそのルールなり作法なりに則って日除けを上げることができるのであれば、僕は出来る限り日除けを上げて陽を浴びたいと思うのである。毎回でなくても構わない。可能な限りの平等の権利を行使したいと思うのである。

ま、でも、それは冬の話だ。夏場は日除けが上がっていようと下りていようとそんなに気にならない。心静かに電車に乗っていられる季節である。

そして、この気楽な季節の間に、この問題が解決しないものだろうかと毎年思うのである。

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