映画『劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まない』
【5月21日特記】 映画『劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まない』を観てきた。今ネット上ですこぶる評判の良い映画である。
全く予備知識のない人のために書いておくと、「神聖かまってちゃん」というのはネット上から火がついて人気急上昇中のインディーズ・バンドの名前である。そして「ロックンロールは鳴り止まない」というのは彼らの曲名である。しかし、この映画は彼らを追ったドキュメンタリではない。バンドのメンバーとマネージャであるツルギの合計5名が本人役で出演しているドラマなのである。
そして、この映画を監督したのは、あの『SR サイタマノラッパー』シリーズの入江悠である。なんとも良い組合せではないか。
ただし、入江悠はもう『SR サイタマノラッパー』の時の入江悠ではないだろう。あの後『SR サイタマノラッパー2』を撮り、WOWOW で『同期』を撮った。『SR サイタマノラッパー』の時には、非常にひどい表現をすれば、間違いなく「貧乏人の知恵」みたいな面白さがあったのである。
お金を掛けられないから、無名の、しかしそれ故に観客が先入観なく見られる、個性的な出演者が山ほど出てきて、そして、カメラは当然1台しかないので、あっちに振ってこっちに回って、結果的にものすごい長回しになる。そういう画作りがむちゃくちゃ面白かった。
それがカメラが複数台になり、ロケ地にも希望を言えるようになり、逆に少し名もあり手垢もついた役者を使うようになってくると、もう同じ面白さを狙うわけには行くまい──今回僕が興味を持って是非見極めたいと思っていたのはその部分である。
で、何が良いって、まず神聖かまってちゃんというバンドが良い。
僕は名前は聞いたことあったが実際に音を聴くのはこの映画で初めてだったのだが、非常に感銘を受けた。
ギターとボーカルの「の子」(それが名前である)は、歌い方も変だし曲によってはボコーダーで声質歪めてたりして、明らかに変調/破格の方向を狙っている。しかし、それに対して、リズムセクション(女性ドラマーの「みさこ」とベースの「ちばぎん」)は非常に骨太のリズムを刻んでいて、そこにキーボード(ギターも弾くらしいが)のMONOがめちゃくちゃメロディアスなリフやオブリガートを載せてくる。そのバランスがすごいのである。
そしての子が書く詞と曲が素晴らしい。特に今、これだけ詞が書けるロッカーはいない。メロディにも力がある。そして全体としてロック的なフレーバーがしっかりある。
このバンドの曲が劇伴として随所にフィーチャーされるのである。
そして、役者として見たときのメンバーがすごく良い。悩めるマネージャのツルギがいい感じなのである。そして、言わばバンドの顔であるの子をしばらく引きこもっている設定にして見せなかった構成も奏功している。
で、映画全体としてはもっと重層的にドラマが組み合わされている。
まず時間軸としてあるのが、神聖かまってちゃんのライブの日まであと何日という指標である。数日後に迫った渋谷AXでのライブを前にしての子は引きこもって電話にも出ない。一方かまってちゃんを時代遅れの昭和的な手法で売りだそうとするレコードプロデューサと広告代理店の男(堀部圭亮と野間口徹)に無理難題をふっかけられて板挟みに悩むツルギ(劔樹人)。
一方プロ棋士を目指す女子高生・美知子(二階堂ふみ)。彼氏にかまってちゃんのライブに誘われるが、その日はアマ王座決定戦の決勝戦とかぶっていることが判ってどうしようか悩んでしまう。そして、家では大学に行かずに棋士になると言って父親ともめたり、美知子より将棋は強いのだが自室に引きこもったままの兄がいたりする。
美知子を演じた二階堂ふみは役所広司監督の『ガマの油』で役所の息子(瑛太)の恋人で、電話に出た役所を息子だと思って話し続ける少女役をやっていたあの娘である。
僕はあの時の評にこう書いている。
そして、今回の目玉は光役で映画初出演の二階堂ふみ。この子が本当に躍動感に溢れて魅力的で、個性も豊かで素晴らしい。
この娘の存在もこの映画の魅力の一つである。
そして、そこにもうひとつ別の話が絡んでくる。昼は掃除婦、夜はショーパブでポールダンスをしながら息子を育てるシングルマザーのかおり(森下くるみ)。息子の涼太は5歳にしてパソコンを操り、毎日物に憑かれたようにかまってちゃんの映像ばかり見ている。保育園の友だちにもかまってちゃんの“気持ち悪い歌”を広めて保護者会から吊るし上げられたりしてしまう。
そういう3つの話が並行して走る。そして、誰もが想像がつくように、クライマックスに来るのはかまってちゃんのライブである。だが、登場人物がみんなライブに集結して、というラストではない。会場にはいなくても、みんながライブ映像を見ているのである。
神聖かまってちゃんというバンド自体が YouTube やニコ生を通じて広がってきた存在なのだが、まさにそれと同じことが映画の中で起こっている。これを見てバンドとドラマの登場人物が繋がっているのであり、そして、それを見ている映画の観客とも繋がっているのである。
このシーンを見て“繋がっている”という実感を持てるかどうかが、この映画に嵌るかどうかの鍵だと思う。こうやっていつでもどこでもかまってちゃんと“繋がっている”という感覚を共有できなければ、この映画を観ても「なんだ、そりゃ?」で終わってしまうだろう。
短い映画だったので、もう少し時間をかけてストーリー的な仕掛けを作ったほうが良かったという見方もあるだろう。しかし、僕はこれで充分だと思った。むしろ、あまり劇的なことが起こらないストーリーでここまでの高揚感を与えられるのは、ひとえにひとりで監督・脚本・編集を手がけた入江悠の構成力であり表現力であると思った。ネイルアートと将棋の駒とか、PC と iPad とか小道具のあしらい方も非常に巧いと思った。
良いバンドがあって良い出演者に恵まれ、脚本が書けて音楽的な素養もある良い監督が撮った。だから良い映画になったのである。なかなかの作品であると思った。
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