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Sunday, March 20, 2011

映画『世界のどこにでもある、場所』

【3月20日特記】 映画『世界のどこにでもある、場所』を観てきた。

大森一樹監督と言えば、まず1981年の『ヒポクラテスたち』で夢中になり、その後『風の歌を聴け』、そして吉川晃司の3部作、斉藤由貴主演の2作品と、80年代は立て続けに観ていた贔屓の監督であった。

ひょっとしてそれ以来なのではないかと思って調べてみたら、その後1990年の『ボクが病気になった理由』と2008年の『みんな、はじめはコドモだった』を観ていたが、これらはいずれもオムニバスの中の短編である。長編映画ではなんと1987年の『トットチャンネル』以来ということになる。

先に感想を述べると、なんか「惜しい」気がした。もう一度作り直してくれないかなと思ったくらいである。

話はロバート・アルトマンばりの大群像劇。舞台は動物園と遊園地が隣り合った施設。そこに近所のいくつかの診療所から精神科の患者たちが「デイケア」と称して月1回集まっている。そしてそこへ、株の一流トレーダーから転落して、ついに詐欺罪で指名手配されている男が逃げこんでくる、という設定である。

で、佐原健二と水野久美という大ベテラン2人を除けば、顔も名前も知らない俳優ばかりが出てくるのである。知らない顔が出てくるのは一向に構わないのだが、彼らの演技がちょっと辛い。演技が大きくてわざとらしいのである。

俳優たちはまとめて三宅裕司の劇団スーパー・エキセントリック・シアターから調達されたということもあるのだろう。これが舞台だったらそんなに浮かないのに、という気はする。

自分は25年前に飼育係を踏み殺した象だと思い込んでいる青年、認知症で自分が大資産家であることも思い出せない老人、9.11で同僚を失い鬱病になった元銀行員など、こういう言い方は不謹慎かもしれないが、実にバラエティに富んだ患者たちが出てくる。

そこに医者、看護師、そしてそれぞれいろんな理由からこの遊園地までわざわざやってくる人たちを合せてメインの登場人物は23人に及ぶ。

23人を描こうとするから当然一人あたりに割ける分数は短くなり、従って描写が浅くなる。だから、どうしても台詞で設定を説明しようとする。これがリアリティを破壊する。「台詞が状況を説明する」のは良いが、作者が「台詞で状況を説明しようとする」と途端に嘘臭くなる。

そこに若干芝居めいた浮ついた演技が乗っかってきて、ちょっと辛いのである。間の取り方が舞台なのである。

ほぼ全員を S.E.T. のメンバーで賄ったので、役者同士は非常に気心がしれており、また舞台俳優ばかりなので前日までに台詞は完璧に憶えてきて基本的にNGは出さない。おまけに三宅裕司の演出に慣れているので、現場での急な変更にも難なく対応する。テンポも速い。だからわずか10日間で撮影を終えられた。

──などと、宣伝する側は誇らしげに言うのだが、観ているほうは逆に「ああ、なるほど、確かにそんな風に撮った映画だという気がする」とマイナスに思考してしまうのである。

「顔の売れていない役者を使ったのは、俳優の格や知名度でそれが重要な役柄かどうかを読ませないためである」という説明もなんだか後付けに思えてしまう。だいいち大森監督自身が「映画は編集ですよ」と言っているのを読んだりすると、予算面でも日数面でも、いかにもコンパクトに撮影した映画なのだなという気がしてくる。

ただし、台詞の浮ついた感を別とすれば、これは大変見事に練り上げられたストーリーなのである。途中までは「ああ、僕の知っている大森一樹は一体どこへ行ってしまったのだろう」と思って観ていたのだが、途中からやっぱり物語構成の上手さがはっきりと見えてくる。

一人ひとりの患者の背景が観客に対して暴かれ、登場人物同士が意外なところであちこち繋がってきて、そして、それぞれの患者の抱える問題が少しずつ緩和されて行く。このまま順番に患者たちが癒されて終わりかと思ったら、そうは行かないところもさすがに大森一樹の脚本である。

適度に非現実的な想定が入ってくるのも、逆にいかにも大森一樹らしくて僕は好感を覚えた。

出演者の一人である大関真の脚本・演出で、実際に S.E.T. の舞台にもなったそうだが、これはやっぱり舞台のほうが良いのではないかなという気がしてならない。

あるいは、もう少し脚本を練りなおして、お金と日数をたっぷりかけて撮り直したら、もっともっとすごい映画になったのになあ、という気がした。

現代社会や現代の医療が置かれている問題がいろいろと盛り込まれていたが、逆にこれを描きたいというのがはっきりし過ぎていたのではないだろうか?

言いたいことがあってそれを映画にするというのが正しい手順であるように思うかもしれないが、僕は言いたいことがはっきりしているのであれば何も映画にする必要はないと思う。はっきりこれとは曰く言い難いモヤモヤしたものを画にするのが映画なのではないか。

今回ばかりは大森一樹が医師免許を持っていることが却って弊害になったのではないかな。

遊園地がちょっと田舎の施設なので、画的になんかくすんだ感じになってしまったってこともあるけどね。

でも、とりあえず往年の大森一樹の片鱗は窺えたので、まあ良しとしよう。

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