映画『死にゆく妻との旅路』
【3月7日特記】 映画『死にゆく妻との旅路』を観てきた。
何度も書いているが、僕は三浦友和のファンなのである。その三浦友和の主演作であり、ほとんどが妻役の石田ゆり子との2人芝居であり、そしてロードムービーである。
映画の冒頭はいきなり1枚のトリキリ・テロップである。そのテロップに書かれたわずか4行か5行の文字で、主人公の「初老の男」には借金が4000万円あり、他にはワゴン車1台と病気の妻と現金50万円しかないということが説明される。
いきなりそれはどうよ、と思った。ペライチの文字で背景説明というのは禁じ手ではないか?
テロップの最後にはこれが現実にあった話であることが書き添えられているが、このテロップの目的はそれを知らせることではないだろう。いくら基が事実であっても、映画化した瞬間にそれは事実に基づいたフィクションでしかなくなってしまうのだし…。
多分、監督が描きたかったのはそこではないということなのだろう。そういう前段の部分には1分たりとも時間を割きたくなくて、とにかく主人公の清水久典(三浦友和)が病気の妻ひとみ(石田ゆり子)をワゴン車に乗せて旅に出るところから始めたかったのだろう。
ひとみが癌であることはテロップには書かれていなかったし、映画が始まっても暫く明かされない。しかし、このタイトルからしても、何か不治の病に侵されていることは想像がつく。観客は最初からそういうことを了解の上で映画を見始めるのである。
最初のシーンは北陸の厳しい冬である。久典が雪かきをする手を休めて立ち小便している。それは日常作業としての雪かきではなかった。集まった親戚たちと話をするのが嫌で頼まれもしない雪かきをやっていたのである。
久典には返せそうにない額の借金がある。とりあえず自己破産して、あとは親戚に縋るくらいしか手がないのは明らかなのに、久典は「恥ずかしいから嫌だ」と言う。そして、小うるさい姉の呼びかけが鬱陶しくて、発作的にワゴン車に乗って飛び出し、そのまま3ヶ月ほど姿をくらましてしまう。
ひとみは手術を終えたが、実は自分が末期癌で、もう長くないということに薄々気がついている。「おっさん」と呼んでいる最愛の夫・久典と3ヶ月離れ離れになっていたということもあるが、これ以上病院にはいたくない、久典と一緒にいたいと思う。
それで久典は今度はひとみを乗せて再びワゴン車を運転して日本全国を回る。
回りながら職を探すが絶望的に見つからない。最初は節約して使っていた現金もやがては尽き、畑の芋を盗んだり、海に浸かって海藻を取ったり、落ちていた釣竿で魚を釣ったりして文字通り糊口を凌いでいる。
妻は妻で最初は元気もあり、つましくとも夫との2人きりでの生活を喜んでいたが、やがて再発した癌に体を蝕まれ、痛み、吐き気、立ちくらみなどに悩まされる。それでも夫と離れるのが嫌で、病院には絶対行きたくないと言う。
あんまりと言えばあんまりである。それではいかんだろうと思う。もっと他の、もう少しましなやり方があるだろうと思う。でも、この夫婦の情愛はものすごく伝わってくる。妻の髪を切るシーンのなんと静謐で美しいことか! とんでもないラブ・ストーリーである。
この映画は互いに相手を見る眼である。
少し離れたところから、車内で待つ妻を見る久典の眼。ガラス張りの待合室の外から、夫の後ろ姿を斜めに見る妻の眼。ひんやりと怖い画がいっぱいある。そして2人の奥には海や夕日や富士山や鳥取砂丘など悠久の風景が広がっている。
最初は行く先々で銭湯につかるが、やがて公衆便所で体を洗うようになり、最後は紙おむつをしている妻。あんまりと言えばあんまりである。救いも何もあったもんじゃない。
だが、リアリティがある。どちらも死にゆく女性を連れ回す話だが、『世界の中心で、愛をさけぶ』では決して描けなかったようなリアリティがある。それは設定にリアリティがあるからではない。描かれている愛の形にリアリティがあるのである。
1年かけて、2人は再び北陸の厳しい冬に戻って来る。このまま妻が死んで終わりかと思ったら、最後に久典と娘(西原亜希)の2人のシーンがあって、なんだか解らないが万感胸に迫るものがあった。
こういう風に文字では決して表せないものをきっちり描いている映画ってエライと思った。
西原亜希は今までTVドラマや映画で結構数多くの脇役をこなしてきた女優だがイマイチ「見せ場」のない存在だった。それがこの短いシーンで漸くその本領を発揮した感がある。
そして、旅の途中で出会うホームレス寸前の旅行者役の常田富士男の曰く言いがたい味。そして良寛の俳句。
一口で言ってやりきれない映画である。でも、思いっきり心揺さぶられた作品でもあった。若い人にはちょっとしんどい作品かもしれないが…。
原作者の清水久典(主人公と同名)は1947年生まれ。監督の塙幸成は1965年生まれ。この間の年齢層が凡そのターゲットであると言えるのではないだろうか。
脚本は山田耕大、撮影は高間賢治。いずれもしっかりと実績のある人たちだ。そして塙幸成は今では寧ろ珍しい存在である助監督叩き上げの人である。初めて見たが、その表現力の高さはしっかりと認識した。
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