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Monday, March 14, 2011

容器

【3月14日特記】 まずは阪神淡路大震災の時の経験と記憶がある。それから、携帯電話やインターネットの諸サービスを含めて、当時とは比較にならないほどのコミュニケーションの発達がある。

だから、あの時よりはうまくできる気がする。しかし、それでもまだ至らない点はたくさんある。ああ、もっともっと長生きして、この経験を記憶にとどめたまま ICT などの技術の進歩を手に入れられたらもっともっと完璧に近づくのに、などと思う。

しかし、考えてみれば僕らの肉体は遺伝子の容れ物にすぎないのだ。僕らの肉体は、生まれて、育って、そして死んで行く。遺伝子だけが子孫の肉体を伝って生き延びていく。

そう、だから、自分の限りある寿命の中で何かを成し得ようとするのは間違いなのである。僕らの肉体が遺伝子の容れ物であるのと同じように、僕らの肉体は情報と知恵の容器に過ぎない。

それを後世に伝えていくのが、僕らという肉体の使命なのである。

そう考えたら少し気が楽になった。そう考えたら自分のちっぽけな人生が少しは意味のあるものに思えてきた。

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