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Sunday, March 13, 2011

拡張可能化性

【3月13日特記】 最近電車の中でゲーム機を操作している姿をよく見かける。いや、最近ではないな。結構前からなんだけど、ただ、最近かなり動きが激しくかつスムーズな格闘技系、シューティング系のゲームが出てきたので、その画面を横から覗き込んだだけでかなり脳裏にこびりつくのである。

もっとも僕自身はゲーム機の世界に全く疎くて、それがニンテンドーなのか SONY なのかも見分けられないのだけれど…。

昨日も高校生らしき男子が一心不乱にやっていた。僕らの時代にはゲーム機はまだなかったし、その後も僕はそういうものに手を出さない珍しいタイプで結局その手の世界を知らないままである。

しかし、それにしても、この一心不乱ぶりは横から見ていてちょっと不安を煽られる。彼は電車の中でこれだけ熱心にやって、家に帰るとまたこの続きをやるんだろうか? 僕らの時代には乗車中の時間をこんな風に遊びに割くことなんてできなかった。

いや、電車の中でまでゲーム機をすることが良いとか悪いとか、そういう視点で語ろうというのではない。自分が高校生の時、じゃあ、電車の中では何をしていたのだろう、とちょっと不思議になって来たのである。

あんまりちゃんと思い出せない。

でも、まず、朝はともかく帰りの電車は独りでないことが多かったような気がする。小学校の時から「孤独を愛する少年」などと揶揄された僕でさえ、友だちと話をしながら帰ることが多かったみたいなのである。今から思うと信じられない。

あるいは独りで乗っているときは本を読んでいたような気がする。教科書とか参考書とかではなくて、小説。多くは文庫本だった。雑誌はグラビア目当てだったから、電車の中では開きにくかった気がする。

いずれにしても、僕の時代の車内の時間の使い方はそんな風だった。今の高校生のように遊びには使っていなかった気がする。

いや、友だちと話したり小説を読んだりするのも広い意味では遊びなのかもしれないが、しかし、それは「よし、これをして遊ぼう」という感じではなく、他にすることが思いつかないからやっていたに過ぎない気がする。

それを今の高校生たちは、家に帰ってからやっても構わないし、恐らく家に帰ってからもやっているに違いないゲームを、なんか電車の中に拡張してきた感じがするのである。

そう、拡張された時間利用。そして、何故拡張できたかと言えば、ゲームが携帯可能になったために空間的な制約が取り除かれて、時間的に拡張可能になったから。

これって、ものすごいことだと思う。

大人たちの発想で言えば、「電車の中でまでなんでそんなゲームをやらなきゃならんのか?」という批判は間違いなくあるだろうとは思うのだが、そういう視点だけで捉えていると足許を掬われそうな気がする。

この拡張性、拡張可能化性こそが、当世若者気質の基盤になっているのではないだろうか?
これって、結構ものすごいことだと思う。

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